己れのカエルたることを知れば「知行合一」して鳴かざるを得ない。
とにかく今日もシゴト驚異的に辛い。OCNに連絡とる時間もありません。
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というように辛い現実と格闘しているわけですが、
問、鍛錬世事、可為致知一助否。
問う、世事に鍛錬するは、知を致すの一助たるべきやいなや。
質問でちゅ。
社会生活や仕事に鍛えられて、「知を致す」という修行を補助してくれるもの、と考えてよろちいか。
「知を致す」は「大学」の八条目の一で、@「物に格(いた)りて知を致す」(それぞれの事物に即して、十分に知り尽くす)と続き、ひとつひとつの事物に具わる「理」を窮めること。(←朱晦庵の理解) A「物を格(ただ)して知を致す」(物事の在り方を正し、生まれながらに具わった「良知」を発現させる)と続き、ニンゲン共通の「良知」を発現させて「知行合一」を遂げること。(←王陽明の理解)
です。@とAはどちらかを自由にお選びください。
お答えちまーちゅ。
運弄事物、都是心体発越処。
事物を運弄するは、すべてこれ心体発越の処なり。
現実の事案や物体を動かし操るということは、すべて精神と肉体の発達し向上するところである。
そこでは、
愈鍛愈熟、愈錬愈精、総属内出功夫。
いよいよ鍛えいよいよ熟し、いよいよ錬(ね)られいよいよ精たり、すべて内出の功夫に属す。
どんどん鍛えられ、どんどん成熟し、どんどん練り上げられ、どんどん精悍になっていく―――これはすべて、内面から湧き出てくる努力である。
どんどん社会生活や仕事に鍛えられてくだちゃいね。
しかし、
若以助観、便岐而二之。
もし助を以て観れば、すなわち岐れてこれを二とす。
もし「補助してくれる」かどうか、という観点から考えれば、「本体」と「補助」の二つに分けてしまっているのである。
要するに、社会生活や仕事をすること、がそのまま「知を致す」という修行なのである。
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明・唐枢「雑問録」より。(このひとはおそらく上のAの系統のひとですね)
―――仕事を必死にやることによって人格が向上していくのだッ!!!!
という怖ろしい?考え方を「事上磨錬」(事案に即して人格を磨く)と申します。
仕事ツラいのでどんどん人格が磨かれている・・・んだろうなあ。見た目は打ちひしがれ、明日にも折れて東京湾に浮かびそうだが。