「可笑しければ、笑いたまうがよろしかろうワン」
さわやかな風の吹く木蔭で、今日も一日空を見て過ごした。雲が行く。あの雲の行く手を塞ぐものなどどこにも無いのだ。ひとが本当に自由になろうとしたとき、それを妨げるものがありうるのだろうか。
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春秋の覇者・晋の文公(在位前636〜前628)がお出かけになりましたとき、
大蛇当道如拱。
大蛇、道に当たりて堤の如し。
巨大なヘビが道に寝そべって、まるで堤防のように行く手を塞いでいた。
「なんと」
文公はこれを見て思うところあり、
反修徳。
反って徳を修む。
引き返して、自らの人徳を修めなおすことにした。
そして
「もしわたしが徳を修めることに成功したら、このヘビは道をあけてくれるであろう」
と考え、
使吏守蛇。
吏をして蛇を守らしむ。
役人を一人のこして、ヘビを見張らせたのであった。
―――ヘビの見張りは夜も続きます。
役人はかがり火を焚いてヘビを見張りながら、ふとうたたねした。
うとうとと、
夢天使殺蛇。曰、何故当聖君道。
天使の蛇を殺すを夢む。曰く、「何故に聖君の道に当たるや」と。
天からの使者が巨大ヘビを殺す夢を見た。夢の中で、その使者は
「どうしておまえは聖なる君主のお出かけを邪魔したのだ!」
とヘビを叱りつけていた・・・。
「う〜ん」
とあくびしながら、役人は目を覚ましました。
目を覚まして
視蛇、則自死也。
蛇を視るに、すなわち自死せり。
ヘビを観察すると、ヘビはすでに自殺していたのであった。
なんと不思議なことではあるまいか。
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晋・張華「博物志」巻七より。
(1)ヘビが「自死」した、というのですが、どういう方法で自死したのか?
(2)自死してしまったヘビは道を塞いで邪魔したままになっているはずなのですが、取り除けてから文公に報告したのかな?
など、多くのナゾを秘めた物語ではあるまいか。
明日も休みだから、ゆっくり考えてみようかな。それにしてもこんなにいい天気なのに、われら肝冷斎族の中にもシゴトに行っているやつがいるらしいんでちゅ。可笑ちいなあ、わははは。