平成27年4月12日(日)  目次へ  前回に戻る

「居酒屋でトグロ巻かないでくださいねワン」

今日も終わってしまった。春も終わりかけだし、週末も終わりだし・・・、もうおしまいだー。

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明日からの憂鬱なことは考えないようにして、春の終わりの詞でも読んでみます。

幾許傷春春復暮、 幾許(いくばく)春を傷めしや、春また暮る、

楊柳清陰、    楊柳の清陰、

偏礙游糸度。   ひとえに游糸の度(わた)るを礙(さまた)ぐ。

天際小山桃葉歩、 天際の小山、桃葉の歩、

白蘋花満湔裙処。 白蘋の花満つ、裙を湔(あら)いし処に。

 どれほどか春(の女神)も悩み苦しんだのであろう、春ももう終わろうとしている。けれど、

 やなぎの木蔭では、

ふわふわした糸(のような柳絮(りゅうじょ=やなぎの実))が空に舞おうとしてはまだ舞い立てないでいる。(まだ女神も、未練を断ち切れぬのだ・・・)

 (彼女は)空に突きだした小山の、(花が落ちたあとの)桃の葉の下を歩き、

 白い卯の花が咲き満ちている水際で、いましもスカートのすそを水に濡らしているところではないだろうか。

もちろん、「春」(の女神)は名を言うことの出来ぬ、あの人の比喩なのさ。

そしてこの俺は、

竟日微吟長短句、 竟日、長短句を微吟し、

簾影燈昏、    簾影の燈昏きに、

心寄胡琴語。   心は胡琴に寄せて語る。

数点雨声風約住、 数点の雨声、風は約住す、

朦朧淡月雲来去。 朦朧の淡月、雲来たり去る。

 一日中、はなうたまじりに「詞」を詠っていた。

 (日は暮れたが今もまだ)すだれの影の灯火も暗いところで、

 月琴のつま弾きに合わせて思いをコトバにしているのさ。

 ぱらぱらと雨の音がしたが、風は止んだようだ。

 (夜空をみると)おぼろの淡い月に、雲がかかったり、去って行ったり・・・。

かっこいい!

この「蝶恋花」詞の作者は宋の賀鋳、字・方回というひとで、この人は賀皇后の親戚の子孫、自らも皇室の女性を娶ったというセレブの方。

「やっぱりセレブだったか」

「かっこいいざますわね」

と思うひとも多いことと思います。

かつて「青玉案」(青い玉作りの机)の詞に

試問闖D都幾許、 試問す、闖Dはすべて幾許ぞ、

一川煙草、    一川の煙れる草、

満城風絮、    満城の風にのる絮、

梅子黄時雨。   梅子黄時の雨に。

 こころみに教えてくれ、孤独の憂鬱はどれほどの量になるだろうか。 

 ひとすじの川のもやに隠れている草や

 街の空いっぱいにとぶ柳の絮を

 梅の実が黄色くいろづく季節に、雨の中で目にするとき。

とうたいまして、「賀梅子」(梅の実の賀さま)と評判になったお方でございますものね!

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しかし、一時代あとの陸放翁「老学庵筆記」を閲するに、

方回状貌奇醜、謂之賀鬼頭。

方回、状貌は奇醜にして、これを「賀鬼頭」と謂う。

方回は、顔が個性的、というかブオトコで、「バケモノ顔の賀さん」と呼ばれていた。

のだそうです。ビジュアル系ではないんです。

しかも、

喜校書。朱黄未嘗去手。

校書を喜ぶ。朱黄いまだかつて手を去らざるなり。

書物の校訂が大好きで、(底本と他の諸伝本を比較して、違いを)朱色や黄色の墨で書きこむための筆を手から放すことが無いくらいであった。

本の校訂マニアだったんです。やんごとなきの嫁さんなんかいるから家にも居場所が無くて、自分の世界に没入していたのではないかと想像されます。いかにも、ふだんは小心でマジメだが、時折居酒屋で酔っぱらって「おれだってなあ・・・」「くそ、バカにしやがって・・・」とトグロを巻いてそうな感じの方だったのです。一気に好感度アップ。

当方、明日からまた平日で社会に居場所も無い上に、おえらがた飲み会もあるのでトグロも巻けない。今週は乗り越えるのムリだな。おしまいだ。

 

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