「イカれたうたを聴かせてやりたいぜ!」
先週から裏千家肝冷斎が崩壊しつつある、という知らせを受けて駆け付けてきたのですが・・・。しかし、時遅かったのです。金曜日の何やら異様に昂奮した「大日経疏」の引用を最後に、長く続いた裏千家肝冷斎も、シゴトの「圧」や社会の恐怖に耐えきれず精神的に崩壊してしまったようで、部屋はもぬけのからになっていました。
致し方ありませんので、今日からしばらくはおいら表千家肝冷斎家当主が更チンいたします。
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「それにしても何処に逃げていったのか?」
裏千家肝冷斎の部屋で、やつがどこに逃げたか手がかりをつかもうと調べものをしているうちに、眠くなってまいりました。春ですからね。
むにゃむにゃ・・・
夢うつつにどこかで、こんな歌を悩ましげに誰かがうたっているのが聞こえてきまちたよ。
南国有佳人、 南国に佳人有りて
栄華若桃李。 栄華は桃李の如かりき。
みなみの国に美しいひとがいて、
はなやかで、桃やすももの花のよう。
朝遊江北岸、 朝たには遊ぶ、江北の岸、
夕宿湘川沚。 夕べには宿る、湘川の沚。
朝べには江の北の岸をさまようて、
夕べには湘江のみぎわに宿る。
このひとは船に乗って移動しているのでしょうね・・・。
ところが、
時俗薄朱顔、 時俗は朱顔を薄しとすれば、
誰為発皓歯。 誰がために皓歯を発(ひら)かん。
近年のはやりは、わかやかなかんばせを重んじない。
いったいどなたに愛されて、白い歯を見せて笑えばいいのだろうかね。
もてないんだそうです。
俛仰歳将暮、 俛(うつむ)き仰ぎ、歳はまさに暮れなんとし、
栄耀難久恃。 栄耀は久しく恃みがたきなり。
うつむいて溜息ついたり空を仰いで歎いたり・・・そのうちに秋も過ぎ年は暮れゆく(若いときも過ぎていく)、
はなのような輝きも、いつまでもあるものではないのだね。
・・・このあたりで目が覚めてあたりを見渡したが、ここは南国の川べりでなく東京の寂しい街中であったし、嫋嫋たる歌びとのすがたなどどこにも見えなかった。
裏肝冷斎は崩壊したふりをして南国に逃亡した? おいらもそのうち裏と同じことになるカモ。
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なお、上記の歌は、「雑詩」其五(「玉台新詠集」巻二所収)という有名なうたで、作者は魏の陳思王・曹植さまでございました。
前半の「佳人」は、古い時代の、江神の婦たる巫女たち(折口信夫のいう「水の女」)の遊行するすがたを写しているようにも見えて奥ゆかしいですね。彼女らのことは「詩経」にも
漢有游女、 漢に游女有り、
不可求思。 求思すべからず。
漢水のほとりにさまよう女がおるけどサ、
なんとかしよなどと思うでないぞ。(あれは神の婦なれば)
と出てまいります(周南「漢広」)。
後半の無常観には、作者の鬱屈した政治的・文学的人生観が反映されているようですね。