(←ぶたロケットに乗って宇宙空間に消滅してしまおうか?)
今日はシゴトいやなのでサボることにしました。しかし会社は休ませてくれないので、
「ではお前が行ってきなちゃい」
と家来に行かせた。しかしやはり家来にとってはシゴトはあまりにもツラ過ぎたようである。先ほど家の扉の前まで来たところで力尽きて斃れ、「ぷしゅう」と蒸気を噴きだして消滅しおったのだった。
これを見て、おいら、腕組みして考えてみまちたよ。
「なるほど。消滅という方法があったか・・・」と。
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霊寿光なるものは漢のころのひと、扶風(長安の近く)の出身であった。
仙薬を作る研究をしているうちに七十歳ぐらいになったのですが、あるときついに完成した。(薬の名は「朱英丸」といった)
「うっしっし、早速試してみるぞ」
と服用したところ、
致得其効、転更少壮、年如二十時。
その効力を得るを致し、少壮に転更して、年二十の時の如し。
その効果てきめんに現れまして、どんどん若返り、二十歳のころのような若々しい外貌となった。
こうして若々しい身体を保ったまま、後漢最後の献帝の建安元年(196)には
已二百二十歳。
すでに二百二十歳たり。
もう220歳となっていた。
逆算すると前漢の成帝(在位前32〜前7)のころのひとであったことがわかる。
このころ、江陵の田家に居候していたが、
無疾而卒。
疾無くして卒す。
病気もしていないのに突然死した。
田殯埋之。
田、殯してこれを埋む。
田は、しばらく遺体を棺桶に入れたまま拝礼する殯(もがり)を行った後、埋葬した。
なまんだぶ。
ところが、
百余日、人復見在小黄寄書与田。
百余日にして、人また小黄に在りて書を田に寄せ与うを見る。
100日余りした後になって、小黄(地名と思われる)にいるという霊寿光から、田に宛てて手紙が送られてきた。
田、その手紙を開き見るや、
「これは本当のことであろうか! 本当のことであろうか!」
と叫んで、
掘発。
掘りて発す。
埋葬した場所を掘り直し、その墓をあばいた。
すると、
棺之中一無所有。釘亦不脱。唯履在棺中。
棺の中に一もあるところ無し。釘もまた脱せず。ただ履のみ棺中に在り。
棺桶のクギさえ抜かれていなかったのに、開いてみても遺体はどこにも見当たらなかった。中にはただ履物が一足、遺されていただけであった。
いわゆる「尸解仙」(肉体的に死んで、死体が無くなってしまうことで仙界に移行するタイプの仙人)となったのである。
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晋・葛洪「神仙伝」巻十より。
年度末だし肝冷斎本体の消滅も十分考慮に値しますが、どうせ消滅するならこれぐらいキレイに消えてしまいたいものですね。