(ひとの見ていないところでもマジメにやるなんて・・・↓)
明日はまた寒くなるとか。ひとの心も冷え切るか。
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昨日の続きになります。
宓子賤(ふく・しせん)が亶父(たんぽ)の町の令(知事)となってから三年目に、孔子は子賤の兄弟子に当たる巫馬旗(ふば・き)に、子賤の政治の様子を見に行かせた。
巫馬旗は
短褐弊裘而往観化於亶父。
短褐・弊裘にして往きて亶父に化を観る。
丈の短い服に破れた皮衣を羽織って、亶父の町に、人民がどのように教化されているか、様子を見に行った。
「短褐・弊裘」は貧しく身分の低い者の着物。要するに「労働者階級に身を窶して視察に行った」ということです。
すると、夜中に漁をしている者を見かけた。
夜漁者、得則舎之。
夜漁者、得てこれを舎(す)つ。
夜中に漁をしている者は、つかまえた魚をその場でまた川に棄てていた。
「おっちゃん、あんた、なにしてはるんでちゅか?」
巫馬旗は問うた。
「おっちゃんは、魚を獲るために漁をしているんとちゃいまちゅんかい?」
漁師は答えて言う、
宓子不欲人之取小魚也。所舎者小魚也。
宓子、人の小魚を取るを欲せざるなり。舎(す)つるところは小魚なり。
「宓知事さまが、わしらに、小さい稚魚は(これから成長するし、コドモを殺すのは道徳的にもよくないから)獲らない方がいいよ、とおっしゃっとられるんでな。今棄ててたのは稚魚だったんじゃよ」
この漁師、夜中ですから同郷の他のひとびとに見られているわけではない。しかしそれでも宓知事の言っていることを守っているのである。
「なるほど、でおまちゅ」
巫馬旗、帰ってこのことを孔子に報告した。
孔子は、
宓子之徳至矣。使民闇行若有厳刑於旁。
宓子の徳、至れるかな。民をして闇行せしむるに、厳刑をかたわらにする有るがごとし。
「宓知事の徳はずいぶん行き届いておるようじゃな。夜中にしごとをする人民にさえ、厳しい命令がすぐ側にあるような気持ちにさせるとは、なあ」
巫馬旗言う、
敢問、宓子何以至於此。
敢えて問う、宓子、何を以てここに至れるか。
「踏み込んで訊いてみまちゅよ。宓知事はどうしてこんなことができたんでおまちょうか?」
孔子曰く、
丘嘗与之言曰誠乎此者刑乎彼。宓子必行此術於亶父也。
丘、かつてこれと言うに、曰く「ここに誠なれば彼しこに刑おこなわる」と。宓子、必ずこの術を亶父に行うならん。
「丘」は孔子の本名。自分のことを言っているのです。
このわたし、孔丘はかつて彼と話しあったことがあるんじゃよ。
「身近なところで誠実にやれば、遠いところで人民たちは命令を守るようになる」
という法則について。宓知事はおそらくこの法則にのっとって亶父で政治を行っているのぢゃろう。
巫馬旗よ、心しておくがよい。
三月嬰児、軒冕在前、弗知欲也。斧鉞在後、弗知悪也。慈母之愛諭焉誠也。
三月の嬰児は軒冕前に在るも欲するを知らず。斧鉞後に在るも悪むを知らず。慈母の愛、諭してここに誠なるなり。
生まれて三か月の赤ん坊は、身分高いひとの立派な車や服が目の前にあったとて欲しがろうとはしない。また、斧やまさかりのような刑罰道具が背後にあっても嫌がりはしない。やさしい母者さまがいろいろ教え諭して、やっと好き・嫌いのまっすぐなキモチを持つようになるのである。
凡説与治之務莫若誠。
およそ説と治の務めには誠にしくはなきなり。
説得と政治のしごとには、この誠(まっすぐなキモチ)以上の方法はないのじゃよ。
「あい、でおまちゅー」
以上。
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「呂氏春秋」巻十八「具備篇」より。なお、この故事から「宵魚垂化」(夜の魚にも教化が及ぶ)という成語が出来ていて、地方官の善政を称賛するのに使われます。ということで、宓子賤の政治は成功していたようです。成功しているとちょっとだけ嫉ましくなってきたりします。・・・しませんか?
いずれにせよ明日からまた、人の心も荒みきる「平日」がはじまるのだ。こころ弱き者は泣きわめくしかない。うわー、うわー、うわー・・・