忘れることはできないのだが・・・。
あのころからもう四年経ちました。はやかったような長かったような。四年前も寒かったですがこの数日も寒いです。北陸や東北は吹雪のところもあるとか。
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唐・大中二年(848)の冬のこと。
吹雪の夜に、舒州のとある道観(道教のお寺)の扉をほとほとと叩くひとがあった。
この道観に住持していたのは、豫章の道士・吉宗老なるひとで、三十を少し過ぎたばかり。彼はあちこちの有名な道観(道教のお寺)を巡ってすぐれた道士を訪ね歩いてきた若者であったが、
学而未有所得。
学びていまだ得るところあらざりき。
まだほんとうのことを教えてくれるひとには出会っていない、と思っていた。
このときはこの道観が無住であったので、留守番を兼ねて一冬の間留まっていたのである。
「どなたでしょうかな。少しお待ちくだされよ」
とかじかむ手で扉を開ける。
すると、
一道士弊衣冒風雪甚急、忽見其来投観中。
一道士の弊衣して風雪の甚だ急なるを冒し、忽ちその観中に来たりて投ずるを見る。
ぼろぼろの服をまとった道士が、ただ一人、激しい吹雪の中、突然その道観に宿所を求めてやってきたのであった。
宗老は道士を迎え入れ、空いていた部屋に案内した。
道士はきわめて無表情。髪とひげは黒いが、年のころは不明。自分より年上なのか、年下なのか。挨拶めいたことを話しかけても時おり頷くか首を振るばかりでほとんどコトバを発しない。
おかしなひとだと思いながらも案内して、自室に戻って寝についた。
やがて深夜となった。
風雪の音激しく、ふと目を覚ましたところ、
無灯燭、雪又甚、忽見室内有光。
灯燭無く、雪また甚だしきに、忽ちに室内に光有るを見る。
灯火もつけていないし、外は激しい吹雪であるのに、どういうわけだか部屋におぼろに光が射しこんできている。
「?」
光のもとをたどっていくと、旅の道士を案内した部屋に至った。
自隙而窺之、見無灯燭而明。
隙よりしてこれを窺うに、灯燭無くして明なるを見る。
隙間からそっと覗いてみたが、灯火をつけているわけでもないのにその部屋だけ明るいのである。
そして、道士は、
以小胡蘆中出衾被帷幄裀褥器用、陳設服翫無所不有。
小胡蘆中より衾被、帷幄、裀褥、器用を出だし、陳設し服翫して有らざるところなかりき。
小さなひょうたんの中から、敷布団・掛布団、カーテン、寝間着、その他の諸道具を出して、敷きならべたり使用したりしていた。ひょうたんの中には、無いものは何も無いのではないかと思われた。
「こ、このひとこそ、もしかして・・・」
宗老知其異、扣門謁之。
宗老その異なるを知り、扣門してこれに謁す。
宗老は彼がすごいひとであると知って、扉を叩いて拝謁を願った。
「お願いもうしあげます、どうぞお教えをお垂れください」
しかし、
道士不応。
道士、応ぜず。
道士は何も答えなかった。
まるで宗老の存在など無いかのように、ひょうたんから取り出した布団の中に入ると、
而寝。光亦尋滅。
而して寝る。光またついで滅す。
ぶうすかと寝入ってしまったのである。すると、部屋の中の光もすうーーと消えてしまった。
「お、お願いもうしあげます、どうぞお教えを・・・」
宗老はそのあと一晩中扉の外に座って道士が起きるのを待った。
天暁之後、聊得一見、及暁推其門、已失所在。
天暁の後、聊か一見を得るも、暁に及んでその門を推すに、すでに所在を失う。
夜明けに(隙間から)ちらりとその姿が見えたかのようであったが、朝、扉を開けてみると、もう部屋の中には影も形も無かった。
荷物類はあのひょうたんに詰め込んで持ち去ったのであろう。
「しまった・・・」
宗老刳心責己、周遊天下以訪求焉。
宗老は刳心に己れを責め、天下を周遊して以て訪求せり。
宗老は心臓をえぐられるほどに後悔し、それから
「こうしてはおられぬ」
と旅支度を調えると、春も待たずにあてどもない旅に出、かの道士のあとを訪ねて行ったのである。
そして、彼の所在も、もはや知られない。
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宋・張君房「雲笈七籤」巻112より。寒いけどもうすぐ春は来るのでしょう。