(日常)
明日はまだ木曜日。ツラい。明日、突然金曜日になるような天変地異は起こらないものだろうか。
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則天武后の時代に、長安の城中で、
井水変赤如血。
井水変じて赤きこと血の如きことあり。
井戸の水が血のように赤くなったことがあった。
そして井戸の中からは、
常有吁嗟之声。
常に吁嗟の声有り。
いつも「ああーー」「うう――」と呻く声が聞こえてくるのであった。
刑法を峻厳に適用して多くの無辜の民を処刑した来俊臣が失脚するまで、続いたという。
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神龍二年(706)には、
洛陽城東七里地色如水、樹木車馬歴歴見影。
洛陽城の東七里の地、色水のごとく、樹木・車馬歴々として影を見る。
洛陽の町の東3〜4キロ(一里=500mで計算)のあたりで、地面が水のように見えるようになった。樹木や車・馬の影がはっきりと映ったのである。
漸移至都、月余乃滅。
ようやく移りて都に至り、月余にしてすなわち滅ぶ。
だんだんと洛陽の町の方に近づき、城内でもそのような状況が見られたが、ひと月余りでもとに戻った。
ところがこの話を長安の人にすると、
長安街中往往見水影。
長安街中に往々水影を見る。
長安の街中では、しばしば地面に、水に映ったような影を見ることがある。
とのことで、珍しくもなんともないというのであった。
かつて、五胡十六国の時代、前秦の苻堅が死んだとき(384年)もこのような異常現象が見られたそうである。
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咸通八年(867)七月、下邳の地で、
雨湯。
湯、雨ふる。
お湯が空から降った。
この湯は沸かされたように熱く、これに打たれて
殺鳥雀。
鳥雀を殺す。
多くの鳥、スズメが死んだ。
思うに
雨者自上而降、鳥雀民象。
雨なるものは上よりして降り、鳥雀は民の象ならん。
雨として降ったというのは、上から下に降される、ということであり、鳥やスズメは人民の比喩なのであろう。
やがて王朝が乱れ、多くの人民が傷つけられるということの前兆であったのだ。
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唐・陸「集異志」巻二より。
というレベルの天変地異は多く記録されているので、「気がついたら一日過ぎていた」レベルの天変地異ぐらいかなりの確率で起こりそうであるけれども。