「きじむな?」「ケケケ、ニンゲンホロビル・・・」
テロが報じられております。
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我が大宋帝国が蜀の地を征服して天下を統一する以前、五代の前蜀・後蜀の時代は蜀と関中の閧フ地は、
虎暴尤甚。
虎暴もっとも甚だし。
トラの猛威が前後に無いほど威を奮ったのであった。
タイガースではありませんよ。
ざっと名をあげてみるだけで、
○白衛嶺石筒溪には「披鬚子」(ヒシュシ。ぴんぴんひげさま)と呼ばれるトラがあり、
地号税人場。
地、「税人場」と号(よ)ばる。
そのあたりは「ニンゲンを通行税として払うところ」だといわれた。
○漢水の方には白楊林という森があって、そこには「裂蹄子」(レッテイシ。つめさけさま)がおられ、
商旅聚徒而行、屢有遭搏噬者。
商旅聚徒して行くも、しばしば搏噬に遭う者有り。
商人や旅人は何人も集まってぞろぞろと通行したが、それでもしばしば殴り殺されたり食い殺された者が出た。
○嘉州・牛頸山には「子母虎」(シボコ。おやこトラ)がいた。
○陵州・鉄炉山には「青豹子」(セイヒョウシ。あおいヒョウ柄さま)がいた。
○彭蜀に近いあたりでは
暴獣成群、農家不敢放牧及出門採樵、行旅共苦之。
暴獣群れを成し、農家あえて放牧及び出門採樵せず、行旅ともにこれに苦しむ。
あばれケモノどもが群れをなして活動しており、百姓たちは家畜を野原に出したままにしたり、あるいは家を出てたきぎやキノコを採集しに行くことさえしなかった。この地を旅するたびびとたちは大変苦労したものである。
これらのトラどもに加えて、当時は
又有群盗。
また群盗有り。
また、群れをなした盗賊団があちこちにいたのである。
各州や県ごとに百人、二百人と徒党を為し、官軍が捕縛しようとするとこれと闘って、勝てばそのまま居座るし、
敗則奔入林藪、雖有捕盗之吏、莫能擒獲。
敗るれば林藪に奔入して、捕盗の吏有りといえどもよく擒獲するなし。
負けたら負けたで森林地帯に逃げこんでしまい、群盗改めの捕り手たちが来ても捕らえることができなかった。
僅四十余年、民無安業。
わずかに四十余年、民に安業無し。
わずか四十数年前までは、人民たちは安んじて産業に従事することができなかったのである。
しかしながら、わが聖なる宋王朝が蜀の地を征服しましてからは、毎年の年貢を都に運ぶひとや商人たちの往復すること、昼も夜も途絶えることなく、旅館や駅家はつながるほど多く、イヌやブタが走り回るようになったのでございます。
すなわち、
虎豹群盗悉皆屏跡、得非繋国朝之盛衰、時政之能否乎。
虎豹・群盗、ことごとくみな跡を屏せるは、国朝の盛衰、時政の能否に繋るにあらざるを得んや。
トラやヒョウ、あるいは群盗どもがことごとくみな姿を消してしまうかどうか、は、国家の盛衰、時の政府の有能・無能の結果である、といわざるを得ないだろう。
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宋・黄休復「茅亭客話」巻一より。対日テロも起こっております。「虎豹・群盗」のごとき国際テロに関して、「国朝・時政」としてガツンとやるべき国連そのものや国連安保理常任理事国なるモノがこの体たらく・・・。