平成26年12月3日(水)  目次へ  前回に戻る

 

今日はいろんなことがあったので疲れまちたね。もう寝ます。

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寝る前に、今日は、大塩中斎先生とは別の武装蜂起しちゃったひとの漢詩を読みます。

朝蒙恩遇夕焚阬。  あしたには恩遇を蒙れるも夕べには焚阬せらる。

人世浮沈似晦明。  人世の浮沈は晦明に似たり。

「焚阬」(ふんこう)は「焚書坑儒」のこと。秦の始皇帝が役に立たぬ書物を焼き、ぶうぶううるさい儒学者どもを穴に生き埋めにした、という故事による成語ですが、ここでは「弾圧をくらう」ぐらいの意味だと思います。

朝には主君から恩義ある処遇をいただいた―――と思っていたら夕方には焼かれたり生き埋めにされたりの弾圧が待っておりました。

ニンゲンの世界で浮き上がったり沈んだりするのは、例えば昼と夜、あるいは満月の夜と新月の夜、のように当然のこととしてやってくるものですなあ。

しかし、

縦不回光葵向日、  たとい光を回らさずとも葵(あおい)は日に向かい、

若無開運意推誠。  もし運を開く無しといえども意は誠を推す。

 たとえお日さまが光を向けなくても、ひまわりは太陽に向かって花開くのだ。

 もしも運命の方はよくなっていかないとしても、自分の意志は誠実であろうと思う。

かえりみれば、

洛陽知己皆為鬼、  洛陽の知己はみな鬼と為り、

南嶼俘囚独竊生。  南嶼の俘囚は独り生を竊(ぬす)む。

 みやこで知り合った同志たちは、ほとんどが死んでしまったのに、 

 この南の小さな島にとらわれている囚人(であるわたし)だけが、ありえないことにまだ生きているのである。

「洛陽」といっているのは、京都の町のこと。「南嶼」(南の小さな島)といっているのは、沖永良部島のこと。だそうです。

生死何疑天附与。  生死なんぞ疑わんや、天の附与たるを。

願留魂魄護皇城。  願わくば魂魄を留めて皇城を護らん。

 生きるとか死ぬとかは、天のお決めになることと信じる。

 ただ願うのは、(死んでも)たましいだけでも地上に残して、天皇陛下の坐す場所をお護りしたい、ということである。

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さて、この詩(「獄中感有り」)を書いたひとは誰でしょう。

このひとは前のとのさまに信頼されて京都で大活躍していたのですが、安政の大獄のあおりで奄美大島に流されました。許されて戻ってきたのですが今のとのさまの言うことをきかないので、また怒られて徳之島からさらに沖永良部島に流されて、そこで漢詩を作りはじめたそうです。この詩なんか作りはじめのころのはずですが、もうかなりの風格を持っておりますので、天性の詩人であったのでしょう。このひと、南洲・西郷吉之助の漢詩は現在200篇弱確認されるそうですが(その中には「悠然として犬とともに憩う」という上野公園の彼の銅像にイメージを与えている詩句もあります)、正直言ってこの時期のいわゆる「志士」の中でもかなり上手だと思います。・・・あ、いけね、また答え言っちゃった。

晩年の詩(「偶成」)にいう

追思孤島幽囚楽、  孤島幽囚の楽しみを追思すれば、

不在今人在古人。  今人に在らずして古人に在り。

 離れ小島にあわれな囚人となっていたころの楽しさを思い出すと、

わたしはゲンダイに意義があって生きているニンゲンではもはやなく、過ぎ去ってしまった過去のニンゲンなのだと思う。

この境地に達した後で西南戦争を起こすので、やっぱりいろんなことを考えて、已むに已まれぬ覚悟を以て武力蜂起に踏み切ったのだなあ、少なくとも自分の栄耀栄華のためではなかったのだろうなあ、と推測されます。ロシアに逃げたりはしていないと思う。

 

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