「ニンジャのわたしでさえ混乱するとぐるぐるします」
今日は会社に行ってみた。もうみんなおいらのことなど忘れているだろうと思っていたところ、やはり無視する者が多く、ほとんど忘れられていることがわかった。これならもう明日からは行かなくてもバレないであろう。思えば徒労の職業人生であった・・・。
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個人的な話はさておきまして、漢の昭帝の元鳳元年(80)九月のことだそうでございますが、
燕有黄鼠銜其尾、舞王宮端門中。
燕に黄鼠のその尾を銜(くわ)え、王宮の端門中に舞う有りき。
「黄鼠」とは「拱鼠」ともいわれますがチャイナ北部に住む「貂」(てん)のこと、ですが、めんどくさいので「ネズミ」と訳しておきます。
燕国(ゲンダイの北京周辺地方)の王宮の正門の建物で、ネズミが一匹、自分のシッポを咥えてぐるぐると回り続ける、という現象が見られた。
これがネズミ花火の典拠である。(「ドウブツ花火起源論」(民明書房刊)より)(←ウソ)
「なんだかオモシロいでちゅねー、そうだ、燕王さまにも教えてあげまちょー」
というので王さまに教えてあげた人がいて、
王往視之、鼠舞如故。
王往きてこれを視るに、鼠の舞うこともとの如し。
王さまもやってきてこれを見たが、やはりそのネズミはぐるぐる回り続けているのであった。
「これはなんだかオモシロいのう」
と王さまも喜ばれまして、
使吏以酒脯飼鼠。
吏をして酒脯を以て鼠を飼わしむ。
臣下を呼びまして、このネズミをお酒と干し肉で飼育するよう命じた。
「ははー」
と命を奉じた臣下でありましたが、そのネズミは酒と干し肉を皿に入れて目の前に置かれても、
舞不休、一日一夜死。
舞うを休(や)めず、一日一夜にして死せり。
ぐるぐる回るのを止めようとせず、まる一昼夜ぐるぐる回りを続けて、ついに死んでしまった。
燕王はその後、ムホンの疑いありとして死罪になったので、その予兆であったのかも知れない。
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唐・陸勲集「集異志」巻四より。
ぐるぐる回るのはオモシロそうですが、しかしこのネズミ(ほんとは「貂」です)、ワレワレの徒労の人生を真似ているようで、だんだん悲しくなってまいりましたあ。
(参考)残春の心を
吉野山花のふるさと跡絶えてむなしき枝に春風ぞ吹く 新古今・春下・藤原良経
(いにしえより名高い吉野山の桜の花も散ってしまいまして、今となっては花の無い枝に春の風だけが吹き過ぎる。むなしいなあ。)