「60、70は鼻たれ小僧じゃ」
今日も会社に来なくていい、というので「これからはもう毎日が日曜日なのかな?」とうれしくなりましたが、明日はまた来い、とのこと。
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まずはまた宋・張子野の詞をご覧いただきます。今日は「一叢花」(ひとむらの花)の替え歌です。
傷高懐遠幾時窮。 高きを傷み遠きを懐(おも)う、幾時にか窮まらん。
無物似情濃。 物として情の濃(こまや)かなるに似るもの無し。
離愁正引千糸乱、 離愁はまさに千糸の乱れを引き、
更東陌飛絮濛濛。 さらに東陌に飛絮濛々たり。
嘶騎漸遥、 嘶くの騎はようやく遥かなり、
征塵不断、 征塵は断ぜず、
何処認郎蹤。 いずれの処にか郎が蹤を認めん。
高く遠いところにいるひとへの思いは、いずれの時にか尽きはてることがあるのでしょうか。
こんなに熱い思いは、ほかのナニモノも懐きはしないでしょう。
別れの悲しみは、ほんとうに千本の糸を引っ張って乱れさせるように苦しいが、
おまけに東の方の畑道はタンポポかなんかのワタが飛んで視界をさえぎっている。
馬の声はもう遠ざかって行った。
あのひとの旅はまだ続く。
あのひとの足跡さえ探せはしない。
以上、第一連は、別離に悲しむ女性のこころをうたったもののようです。
第二連は、
雙鴛池沼水溶溶、 雙鴛の池沼に水溶溶として、
南北小橈通。 南北に小橈は通ず。
梯横画閣黄昏後、 梯は画閣に横たわる、黄昏の後、
又還是斜月簾櫳。 また、またこれ斜月の簾櫳(れんろう)ならん。
沈恨細思、 沈恨し細思するも、
不如桃杏、 如かず、桃杏の
猶解嫁東風。 東風に嫁するを解するがごときに。
ひとつがいのおしどりが浮かんでいる池の水はとろりと静かで、
梶を操りながら、小さな舟が南北に行き交っている。(みんなはそうやって自由に通行しているのに)
きれいな建物の梯子は引き上げられて横架けにされ、夕暮どきからは二階に昇ることもできない。
これは傾きかけた月の光さえ入れない堅いカーテンなのだろう。
心の中で恨みながら考えた。
あなたは桃や杏のようにすら振る舞ってくれない。
桃や杏でさえ春の風には、恋をしたように花開くというのに。
こちらは女性を思う男性のきもちをうたっているらしい。
どちらもかなり複雑なキモチをうたっているようですが、この詞は第二連の最後の三句「沈恨細思するも、如かず、桃杏のなお東風に嫁するを解するがごときに」の華やかな比喩で有名になった。
句は有名になりましたが詞全体の意味、あるいはシチュエーションがわかりにくいので、作者の作詞の動機がいろいろ穿鑿されるに至った。
「むふふ、御存知かな?」
と知ったふうな人がまことしやかに言うには、
子野、嘗与一尼私約。
子野、かつて一尼と私約せり。
張子野どのはそのころ、若く美しい尼さんと、デキておられたのだそうな。
その尼の行動を一人の老いた尼が監視をしていた。
其老尼性厳、毎臥於池島中一小閣。
その老尼は性厳なれば、つねに池島中の一小閣に臥せしむ。
老いた尼は厳しいひとであったので、若い尼におとこが言い寄らないように、池の中の小さな島に二階建ての建物も設けて、その二階を寝所にさせていた。
しかし、二人の官能を求める心を遮ることはできなかった。
俟夜深人静、其尼潜下梯、俾子野登閣相遇。
夜深くして人静かなるを俟ちて、その尼ひそかに梯を下し、子野をして閣に登らしてあい遇う。
夜深く、他人(老いた尼を含む)が寝静まったころを待って、尼さんはそっと二階に引き上げられた梯子を下ろす。それを合図に(小舟で島に忍んで来ている)子野は二階に昇り、それから二人で熱く体を求めあったのであった。
ある晩も子野が忍び逢いに行ったところ、その日に限っては梯子が揚げられたままで、二階に昇れなかった。(あまりに月が明るかったからか?)
そこで恨んで、次の日に贈ったのが、この詞なのだ―――
と。
後、蘇東坡が杭州刺史になったとき、ひとりの老人が宴席にやってきた。
たいへんな老齢とみえたが、それでも妓女たちに執拗に戯れ、その振舞いは老醜をさえ感じさせた。
これが張子野であったという。だとすればそのころは
蓋年八十余矣。
けだし年八十余なり。
なんと、八十何歳かになっていたはずである。
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宋・楊G「古今詞話」等より。八十過ぎても頑張るとは、おとこらしい人だぜ。