(←悩みが無いように見える・・・ほどには悟ってはいないけど・・・)
今日も力の限りマジメには、やらず。
「そんなことでは君、あとで後悔するぞ!」
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衛の国の林類なるひとは年齢は百歳ぐらいらしいのですが、夏も冬もドウブツの毛皮の服一枚を着て、
拾遺穂于故畦、併歌併進。
穂を故畦に拾遺し、併せて歌い併せて進めり。
収穫後の田畑で落穂拾いをしながら、なんやら歌を歌ったりしていた。
「落穂ひろい」はミレーの名画で有名ですが、収穫物は一粒残さず耕作者なり地権者なりのモノになるのではなく、洋の東西に関わらず、残り物をのこして、これを拾うのは、未亡人や孤児、身寄りの無い老人など社会的弱者の特権とされていた。
林類は身寄りも生産手段も持たない老人なので、その特権を持っていたのである。
ちょうど衛の国に亡命してきた孔子さまが林類の姿を目にした。
そして「ふむ」と頷いて、
顧謂弟子曰、彼叟可与言者、試往訊之。
顧みて弟子に謂いて曰く、「彼の叟ともに言うべき者なり、試みに往きてこれに訊ねよ」と。
弟子たちの方をかえりみておっしゃるには、
「あのじじいは話しあってみる価値がありそうじゃぞ。誰か近づいて行って、意見を聞いてくるやつはおらんか」
「あい、わたくしめが」
と進み出たのは子貢であった。
子貢は畔道のところで林類を待ち構えて、
面之而嘆曰、先生曾不悔乎、而行歌拾穂。
これに面して嘆じて曰く、「先生つねに悔いざるか、行歌して穂を拾う」と。
まじまじと林類の顔を見て、「はあ」と溜め息をついて言った。
「御老人、後悔はなさっておられませんか。(ご老人ほどの賢者でありながら)歌を歌って歩きながら落穂ひろいで生活を立てておられるなんて」
しかし
林類行不留、歌不輟。
林類行きて留まらず、歌いて輟(や)めず。
林類は子貢に声をかけられても立ち止まらず、また歌を歌うのを止めなかった。
「御老人! 御老人!」
子貢が何度も声をかけると、林類はようやくその顔を見上げ、
吾何悔邪。
吾、何をか悔いんや。
「わしが? 何を後悔するって?」
と聞き返してきたのであった。
子貢曰く
先生少不勤行、長不競時、老無妻子、死期将至、亦有何楽而拾穂行歌乎。
先生は少(わか)くして行いを勤めず、長じて時と競わず、老いて妻子無く、死期まさに至らんとするに、また何の楽しみ有りてか穂を拾いて歌行せんや。
「御老人はお若いころにはマジメにやられず、大人になってからは回りと競争せず、歳をとっても女房子どもも無い。死のときがどんどん逼ってきているのです。こんな中でどんな楽しみがあって落穂ひろいで生活を立てながら歌い歩くことができましょう。(心の中ではツラい後悔でいっぱいなのでございましょう?)」
「はあ?・・・・・むふふ、むふ、むはははは」
林類は始め呆気にとられていたようであったが、やがて大笑いして言った。
吾之所以為楽、人皆有之、而反以為憂。少不勤行、長不競時、老無妻子、死期将至、故能楽若此。
吾の以て楽しと為す所は、ひとみなこれ有るも、反って以て憂いと為す。少くして行いを勤めず、長じて時と競わず、老いて妻子無く、死期まさに至らんとする、故によく楽しきことかくのごときなり。
「わしが楽しいと思っていることは、誰でもたやすく獲得できることばかりなのだが、どういうわけかみんな逆にイヤなことだと思っておられるようじゃなあ。若いころにマジメにやらず、大人になってから回りと競争せず、歳をとっても女房子ども無く、死の時がどんどん逼ってくる、だからこそこんなふうに楽しそうにしているのだがなあ」
子貢問いて曰く、
寿者人之情、死者人之悪。子以死為楽、何也。
寿なるものは人の情(のぞ)むところにして、死なるものは人の悪(にく)むところなり。子、死を以て楽と為すは何ぞや。
「長生きは誰でもが望むところでござる。死ぬのは誰でもイヤでございましょう。それなのに、先生が死ぬのを楽しいと思われるのはどうしてですか?」
林類曰く、
死之与生、一往一反。故死于是者安知不生于彼。故吾安知其不相若矣。吾又安知営営而求生非惑乎。亦又安知吾今之死不愈昔之生乎。
死の生とは、一往一反なり。故にここに死する者、いずくんぞ彼こに生ぜずと知らんや。故に吾、いずくんぞその相若(あいし)かざると知らんや。吾またいずくんぞ営々として生を求むることの惑にあらざることを知らんや。また、またいずくんぞ吾の今の死の昔の生に愈(まさ)らざるを知らんや。
うひゃー、二重否定+反語だらけで読みづらい。がんばって解読します。
「死ぬことと生きることとは、行って帰ってくる、その一往復ではないかな。
そう考えると、ここで死んだとしてもどこかでまた生を得るのではない、と断言はできまい。
そう考えると、わしは(死ぬと生きるとは)同じものではない、と断言はできない。
わしはまた、なんとしてでも生きていたい、とする気持ちは間違っていない、と断言できない。
さらにまた、わしのこのたびの死が、これまで生きてきたときよりもよいものではない、とも断言できまい」
これを聞いても子貢は
「よくわかりませんな」
と答えるばかりで、孔子のもとに戻って会話を報告した。
孔子はおっしゃった。
吾知其可与言、果然。然彼得之而不尽者也。
吾そのともに言うべきを知るに、果たして然り。しかるに彼はこれを得るも尽くさざる者なり。
「わしはあのじじいは語り合えるやつだと直観したが、やはりそうであった。しかし、やつはわかってはいるがそれを突き詰めようとしないタイプのようである」
と。
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「列子」天瑞篇より。
言うまでも無く、わたしはこの林類のタイプなのです。だから力の限りマジメにやらなくても、後悔しないのである。