平成26年10月10日(金)  目次へ  前回に戻る

 

現在実は11日の朝ですが、昨夜は職場の仲間にカラオケなるものに連れて行かれそうになり、あまりに激しく抵抗したのでたいへん険悪な状況になったが向こうも「おまえもおとななら人との付き合い方ぐらい知っているはずだろ」とまで言い出し(そうになっ)たので、わしはこう言ってやったのじゃ。↓

「おいおい、おまえら、わしをナニモノじゃと思っておるのじゃ・・・

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清の初めのころ、江蘇・無錫に銭一飛なる若者がおった。

あるとき、ひとからその所有する馬を見せられ、その毛並のよいのを誇られたとき、

馬至騏驥之良、尚為人駕馭、羈絆其身。

馬、騏驥(きき)の良に至るもなお人に駕馭せられ、その身を羈絆せらる。

馬は、どんな駿馬であっても、ニンゲンさまに乗ったり操ったりされ、ずっとその身をつながれたままになるのだ。

と言い、

何如猛虎深山裏、

一嘯風生百獣寒。

何如(いかん)ぞ、猛虎の深山の裏にして、一嘯すれば風生じ百獣寒きと。

猛虎と比べてどうだろうか。

虎は、深い山の中でひとたび咆哮すると、風が吹き、ほかのすべてのドウブツどもがぶるぶると震えおじけづくという。

という句を壁に書きつけた。

それを見た銭のオヤジは、がくぜんとして言う

此子将来必為盗賊。

この子、将来必ず盗賊たらん。

「このガキは、いつかぜったいアウトローになってしまうぞ」

そして、一族にまで累を及ぼすのを畏れて、

欲殺之。

これを殺さんと欲す。

「てめえ、殺してやる」

とぶっ殺そうとしたので、銭は遂に家を出てその行方をくらましてしまった。

その後、彼は

為逆臣呉三桂将領参謀。

逆臣・呉三桂の将領参謀と為れり。

明末、明側から寝返って清軍を北京に導き入れ、後には雲南を根拠地に清朝に対して三藩の乱を起こした呉三桂の参謀にまでなっていたらしい。

康熙十九年正月に清の正規軍に敗れると身をくらまし、しばらくして

始逃帰。

始めて逃げ帰れり。

ひさしぶりに郷里に舞い戻ってきた。

そのころには円満な人格になっていて、人生経験や広い人脈を生かして手堅く商売しながら、地域の取りまとめ役として多くのひとびとに信頼され、

老而無子、竟以寿終。

老いて子無きも、ついに寿を以て終わる。

年をとっても子どは無かったのが残念であったが、やがて家で平和に死んだ。

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清・銭泳「履園叢話」巻一より。

「・・・わしは、この銭一飛のように「馬」ではなく「虎」として生きようとしてきたのだ。おまえたちに嘲笑されるために歌を歌うわけにはいかぬのだ!」

と言ったが理解されず、とりあえず連れて行かれる。しようがないので隅っこで寝たふりをしていまちた。童子なので。大人になれなかったの。

 

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