←旅ゆく赤とんぼの図。
土日はシアワセである。
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「金谷」(キンコク)というのは、晋の大貴族・石崇が営んだという豪奢をきわめた庭園のことです。「桃源」はもちろん陶淵明が記した、武陵にあるという桃の花咲きにおい、鶏犬の鳴く平和な別天地のことであります。
さて―――
何地非真境、何物非真機。
いずれの地か真境にあらざる、何の物か真機にあらざる。
あらゆる場所が理想の地であり、あらゆるモノが真理に至るためのヒントである。
ということに気づけば、どんなところでも心のどかに暮らせるもの。
芳園半畝、便是旧金谷。
芳園半畝、すなわちこれ旧の金谷。
花畑が0.5アールほどもあれば、もうこれは、かつての金谷園とみなすことができましょう。
流水一湾、便是小桃源。
流水一湾、すなわちこれ小なる桃源。
小川がひとめぐり曲っていれば、もうその奥には小さな桃源郷がある、と想像することができます。
林中野鳥数声、便是一部清鼓吹。
林中の野鳥数声、すなわちこれ一部の清なる鼓吹。
林の中で、野鳥の声をいくつか聞けば、それはもう音楽隊が爽やかな一曲を演奏したと聞きなすことが可能でしょう。
溪上閑雲幾片、便是一幅真画図。
溪上の閑雲幾片、すなわちこれ一幅の真の画図。
谷山の上にふわふわと数片の雲が浮かんでいるのを見れば、あれはもう一幅の最高傑作というべき画ではありませんか。
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「酔古堂剣掃」巻五より。
・・・というように、今日のような明日も休みの休日は、感じた。明日になると明日は平日になるから世界はもう少し美しくなくなって見えるようになる、と予感しています。ずっと今日だといいのだが。
しばらくは静かなれかし
われ今かくも快よく
死にてあるに (堀口大学「快よき死」)