←悪いおじさんに騙されないようにしよう。
くそー。昨日のくそおやじにあやうく騙されるところでちた。今日はやっぱり月曜日だったやないでちゅかー。
ああツラかった。
昨日のおやじと違って東方朔(とうぼう・さく)さんはホンモノの大きなおとこですよ。
今日も東方朔さんのお話を聞きます。
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おいら、東王公からいただいた丹霞漿(赤いかすみのジュース)を呑みましたところ、うまかった。そこで、
「もう一杯くだちゃいな」
とお代わりをもらいまちた。やっぱりうまかった。そこで、
「もう一杯くだちゃいな」
とお代わりをもらいまちた。やっぱりうまかった。そこで、・・・・とおいらは何杯もお代わりをしてしまった。
しばらくすると
太飽。
はなはだ飽く。
すごいおなかがいっぱいになってきたのでちゅよー!
悶幾死。
悶え、ほとんど死ねり。
「苦ちーい」とおなかをさすりさすり死にそうになってちまいました。
「わはは、そんなに飲むからじゃ」
東王公はまた飲み物をくれました。
飲玄天黄露半合即醒。
玄天黄露、半合を飲みて即ち醒む。
これは「くろい空の黄色い露」という飲み物で、それを100ミリリットルぐらい飲んだらおなかがすうっと楽になりまちた。
「わーい、生き返りまちたー。ではかえりまちゅー」
と東王公のもとを辞して帰ってこようとしたところ、
路遇一蒼虎、息於路傍。
路に一蒼虎の路傍に息(やす)むに遇う。
道端に、一頭の(年をとって)青黒くなった大きなトラが休んでいるのに出くわしたのでちゅ。
「おい、トラよ」
トラはおいらの方を眠そうに見上げたので、おいらは言いました。
「家に帰りたいので、乗せてくだちゃい」
トラは頷きました。
児騎虎還。
児、虎に騎りて還る。
おいらはトラの背中に乗せてもらって帰ってきたんでちゅよ。
「それにしても足が痛いなあ」
と足を見たところ、血が出ていましたね。
虎囓児脚傷。
虎、児が脚を齧りて傷つけり。
「トラのやろうがおいらの足を齧りやがっていたのでちたかー」
「ああ、痛かったろうねえ」
母悲嗟、乃裂青布裳裹之。
母悲嗟して、すなわち青布の裳を裂きてこれを裹めり。
隣のばばあは悲しそうに声をあげて、すぐに青い布のスカートを裂いて傷口を縛ってくれたのでちた。
―――しばらくしてまた出かけると、
見一枯樹、脱布掛於樹。
一枯樹に、脱布を樹に掛けたるを見る。
一本の枯れ木に、脱いだ布が引っかけられているのを見た。
しばらく見ていますと、
布化為龍。
布化して龍と為れり。
布は、ぼよよ〜んと変化して龍になりました。
「おお」
そこで、その地を布龍沢と名付けまちたね。
さらに行きますと、
忽見王母採桑於白海之濱。
忽ち見る、王母の桑を白海の浜に採るを。
美しい王母さまが白い水の湖畔で桑の葉を採っているのに出くわしましたね。
「王母さまは熟女でお美しいなー。むにゅむにゅちたい」
と見とれておりますと、
俄有黄翁。
俄に黄翁有り。
突然、黄色いかぶりもの・黄色い服のじじいが出てきた。
じじい、王母さまを指さして、おいらに向かって言うには、
昔為吾妻。託形為太白之精。
昔、吾が妻たり。形を託して太白の精と為る。
「あの女は以前はわしの女房だったんじゃが、最近は金星の精のかたちをとっておるんじゃ」
「えー、あんな美しいひとがじじいの女房だったんでちゅか」
じじいはおいらはじろじろと見まして、
今爾此星精也。
今なんじこの星の精なり。
「どうやらおまえさんも金星の精らしいな」
「はあ?」
じじい、続けて言うに、
吾却食呑気、已九千歳。目中瞳子色皆青光、能見幽隠之物。
吾は食を却ぞけて気を呑み、すでに九千歳なり。目中の瞳子の色みな青光にして、よく幽隠の物を見る。
「わしは食べ物は食べず、「かすみ」だけを食べて、もう九千年になる。この目を見てみるがよい。ひとみが青い光を放っているであろう。隠されたモノ、この世の表面では見えないモノを見ることができるのじゃ」
「はああ?」
三千歳一反骨洗髄、二千歳一刻肉伐毛。自吾生已三洗髄、五伐毛矣。
三千歳にひとたび骨を反して髄を洗い、二千歳にひとたび肉を刻みて毛を伐(き)るなり。吾生まれしよりすでに三たび髄を洗い、五たび毛を伐れり。
「三千年に一回、骨を裏返しにして中の髄を洗うんじゃ。二千年に一回、肉を削ぎ取って毛を根こそぎにするんじゃ。(そうするとずっと元気でいられる。)わしは生まれてから、もう三回、骨を裏返して髄を洗い、五回、肉を削ぎ取って毛を根こそぎにした。
おまえにもやりかたを教えてやらんといかんのう」
「うひゃー、このじじい、わけわかんないよー」
おいらは逃げ帰ってきた。
すると今度は三年も経っていまちたね。ばばあに
「またどこかをほっつき歩いていたのかね。わたしの生きている間にまともになっておくれ」
と泣かれまちたので、都に出て、皇帝に仕えることにいたちまちたー。
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とりあえず仕官するまではこんな感じだったそうです。後漢・郭憲「洞冥記」巻一より。
それ以降の活躍も、おいおいご紹介いたちていきまちゅねー。
・・・マジメな話をいたしますと、古代の賢大夫(賢者の重臣)の流れを引く武帝の諌官・東方朔が、道家的な知識と術を身に着けた道化師(「滑稽」)のような人物であった、という伝説化は、漢代の早くにはなされていたようで、同時代の司馬遷の「史記」にもすでに萌芽がありますが、後漢の時代にはもうこんなひとになってしまっていたのでちゅねー。