今日はむしょうに味噌ラーメン食いたくなったが、足が痛くなるので我慢した。
週末まであと三日もある。今日出勤して、たった一日で挫けそうであるが、それでもメシを食っていくためには出勤せねばならない・・・のだろうか?
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唐の咸通年間(860〜873)、江西・吉州の東山にある道観(道教のお寺)に楊尊師という方がおられた。
師有道術、能飛符救人。
師、道術有り、よく符を飛ばして人を救う。
尊師は道教の方術を使われた。おふだを飛ばして、人の危急を救った、ということがよくあった。
まったくこれまで道観に御縁の無かったひとが、突然お詣りに現れ、
「わたしは楊尊師のおかげで助かったのです」
と言って感謝し、多額の喜捨をしていくのである。
ために道観は結構繁盛していて、参拝客に出す精進料理を準備するのにたいへんであった。
ところが、
観側有三井。一井出塩、一井出茶、一井出豉。毎有所闕、師令取之、皆得食之、能療衆疾。
観側に三井有り。一井は塩を出だし、一井は茶を出だし、一井は豉(し)を出だす。闕くるところ有るごとに、師これを取らしむるに、みな得てこれを食らい、よく衆(もろもろ)の疾を療(いや)せり。
道観のそばに三つの井戸があって、そのうちの一からは塩が出る。いまひとつは茶が出る。もう一つは味噌が出るのであった。
どれかが底をついたと報告があると、尊師の指示でどれかの井戸から汲みだして、みなでそれを飲み食いした。これらの飲食物は、いろんな病気を治すこともできた。
もろもろの病の中に生きることの苦しみは入っていたのでしょうか。いや、如何なる聖薬といえどもそれはムリか・・・。
閑話休題。
尊師が昇天(亡くなったのである)されてからは、
取之、無復得矣。
これを取るもまた得る無し。
井戸を汲んでみても、もう何も出なくなった。
ということである。
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五代・杜光庭「録異記」巻二より。
働かなくても塩と茶と味噌は大丈夫なようですよ。あとはコメか。コメさえあれば・・・。