高校球児は炎天下でがんばっておられるようですが、当方はしごとのイバラ道を歩いております。ツラい。しかもどんどん急坂に。まわりのひともコワいし、もうムリだ・・・
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昨日から続きます。紀元前549年の冬のこと。
晋から派遣されてきました張骼(ちょうかく)、輔躒(ほれき)の二人の勇者を乗せる馬車の御者として、鄭から宛射犬(えん・せきけん)が選ばれたわけでございますが、
二子在幄、座射犬于外、既食、而後食之。
二子の幄に在るも、射犬外に座し、既に食らいてしかる後にこれに食らわす。
張と輔の二人が幔幕の中で食事している間、宛射犬は外に座って待っておらねばならず、二人が食事を終えてから、ようやく食事があてがわれるという扱いであった。
行軍の間は、
使御広車而行、己皆乗乗車。
広車を御して行かしめ、己れらはみな乗車に乗る。
「広車」はいわゆる「戦車」で、乗り心地はよくない。「乗車」は平時の移動に利用する安楽な車。
射犬には戦闘用の馬車を御して移動させるのだが、自分たち二人は安楽な車に乗って後に従っていくのであった。
やがて楚の軍が現れると、二人は
而後従之乗、皆踞転而鼓琴。
しかる後にこれに従いて乗じ、みな転に踞して琴を鼓せり。
ようやく戦闘用の馬車の方に乗り換えた。しかるに、二人とも車の後ろの方の横木に腰かけて琴を鳴らしている。
「なんてやつらだ・・・」
射犬はそのようすをずっと苦々しく見ていた。
やがて楚の前線に近づいた。射犬は
近、不告而馳之。
近づくに、告げずしてこれを馳す。
戦線に近づいたところで、二人にひとことも言わずに突然馬車の速度を上げて、敵の戦陣に突入した。
「うほほーい」「突然じゃなあ」
二人はあわてて
取冑于嚢而冑。
冑を嚢より取りて冑す。
かぶとを袋から取り出してかぶった。
入塁、皆下、搏人以投、収禽挟囚。
塁に入りてみな下り、人を搏ちて以て投じ、禽を収め囚を挟む。
土塁を乗り越えたところで二人は馬車から飛び降り、そこにいた敵兵をぶん殴り、あるいは投げ飛ばし、獲物を殺し、捕虜を捕らえた。
その目覚ましい働きぶりに射犬は目を瞠ったが、そのうちに引き上げの合図の鐘の音が聞え出すと手綱を引きしぼって、
弗待而出。
待たずして出づ。
二人の乗り込むのを待たずに敵陣から引き揚げはじめた。
「うほほーい」「待て待て」
皆超乗、抽弓而射。
みな超乗し、弓を抽きて射る。
二人は馬車に飛び乗り、今度は弓を引いて追いかけてくる敵兵を射た。
この二人が最後まで戦っていたため、馬車は全隊のしんがりになってしまっている。
射犬は声を張り上げた。
「お二人のせいで逃げ遅れたようじゃ。飛ばすゆえ、何かにつかまっておられるがよい」
「要らぬご心配じゃ」「ほほーい」
二人は飛ぶように走る馬車の上から弓を射続けた―――。
既免。
既に免れたり。
射犬のみごとな乗御もあって、彼らの馬車は追尾する敵兵を引き離し、ようやく安全地帯に入った。
すると、
復踞転而鼓琴。
また転に踞して琴を鼓す。
二人は再び馬車の後部の横木に腰かけて、琴を鳴らし始めたのである。
そして曰く、
公孫、同乗、兄弟也。故再不謀。
公孫よ、同乗は兄弟なり。なに故にか再びも謀らざる。
「ご立派な若いの。馬車に同乗する者は兄弟も同然と言うではないか。どうして(突入時と撤退時に)二度もわしらに相談無しにしおったのだ?」
宛射犬は鄭の公族であったから、「公孫」という呼びかけはそれを踏まえた敬意を込めた言い方である。
射犬は答えた。
曩者志入而已、今則怯也。
曩には志入るのみ、今はすなわち怯むなり。
「最初は突入することばかりが頭にあった。今はとにかくコワくなったのでござる」
「ほほう」「なるほどな」
皆笑曰、公孫之亟也。
みな笑いて曰く、「公孫はこれ亟(きょく)なるかな」と。
二人は大笑いして言う、「それにしてもお若いのはせっかちじゃな」
「まあおまえさんのそのせっかちさのおかげでわしらは命拾いしたのじゃが。わっはっはっは」
二人が笑うので射犬もまた大笑いした。
その後、戦陣にある間、三人はいつも一緒に食事をし、まるで本当の兄弟のように付き合ったということである。
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という、爽やかな男たちの物語だったぜ。
「春秋左氏伝」襄公二十四年条より。このエピソード、結論と思われる部分だけ掻い摘んで言えば、「怯んでコワくてしかたない時は大慌てで逃げ出さないといけない」ということではないでしょうか。よし、明日こそは・・・。