ハラ減った。しかし体重は増えだす。
あと三日・・・だが予想ではそれがイバラの日々なのである。
すかっとする話でもしますか。
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紀元前549年の冬のことでございます。
覇者である晋が斉を攻めたので、斉と同盟関係にあった楚は晋の同盟国である鄭を攻めた。そこで晋とその同盟国は鄭の救援にかけつけ、楚と闘うこととなった。
このとき、晋は張骼(ちょうかく)、輔躒(ほれき)という二人の勇者を派遣し、二人を乗せる馬車の御者を鄭から出すように求めた。
そこで
鄭人卜宛射犬。
鄭人、宛射犬を卜す。
鄭のひとたちは占いを行い、宛射犬(えん・せきけん)という士を選んだ。
公族に連なる誇り高い貴族である。
子大叔戒之曰、大国之人、不可与也。
子大叔これを戒めて曰く、「大国の人には、ともにすべからざるなり」と。
鄭の公族の長老格である子大叔・游吉というひと、宛射犬のことを心配して、
「相手は覇者の国から派遣されてくる方々じゃ、張り合ってはならんぞ」
と戒めた。
射犬、憮然として曰く、
無有衆寡、其上一也。
衆寡有る無く、その上は一なり。
「国の大きいとか小さいとかには関係無く、御者の方が馬車に乗る戦士より尊重されるならいではございませぬか」
大叔、
不然。
しからず。
「そんなことはない!」
と叱りつけた。
部婁無松柏。
部婁に松柏無からん。
「部婁」(ぶろう)は「培塿」(ばいろう)のことだそうです。・・・そういわれても何のことかわかりませんので、「培塿」とは何ぞやというと墳墓の土盛、あるいは低い丘のことであるという。
「低い丘には松や柏のような立派な木は植えられないものじゃ」
「は?」
「我が鄭国のように小さな国で上位にいても、世間に出れば大したことはない、ということを肝に銘じておけ!」
と言うのである。
「む、むむむ・・・、わかりました」
長老のお言葉である。宛射犬は悔しく思いながらも肯ったのであった。
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が、しかし、明日もシゴト。それもかなりツラいやつ。結果次第では東京湾に浮かぶかも知れない状態です。追い込まれております。ので、今日はここまで。明日に続く。
「春秋左氏伝」襄公二十四年条より。