今日は疲れました。
明日は会社。会社にいたくないので、なんとか脱出できないものであろうか。
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紀元前6世紀のことだそうですが、楚に捕らわれていた晋の大夫・荀罃(じゅん・おう)というひと、なんとかして楚の国から脱出し、祖国に帰ろうとしていた。
鄭から楚に来ていた商人(「賈人」)がそのことを聞いて、
「ようがす、あたしがお手伝いいたしやしょう」
と申し出た。
将置諸褚中以出。
まさにこれを褚(ちょ)中に置いて、以て出ださんとす。
「褚」(チョ・シャ)は「衣服の色が赤い」ことを表わす字ですが、ここでは衣装類を入れる袋のこと。
商人が申し出た作戦は、荀罃を衣装袋の中に入れて、貨物として運び出そう、というものであった。
「ちょっと息苦しいですが少しの間のしんぼうですがすよ」
「なるほど」
既謀之、未行。
すでにこれを謀り、いまだ行わず。
荀罃はその策に乗っていろいろ打ち合わせを終え、まさに決行しようとしていた―――
その矢先に、晋と楚の間の和議が成立し、荀罃は堂堂と帰国することができた。
帰国して大夫の職務に戻ってしばらくしたころ、くだんの鄭の商人が今度は晋に商売しに来ていることを知り、荀罃は彼を呼び出して、
善視之、如実出己。
これを善視すること、実に己を出だすが如し。
実際に彼が自分を救いだしてくれたかのように感謝して、人に命じてなにくれとなく世話をさせた。
「うーん」
商人は逆に困りきったような顔で世話をしてくれる人に言うには、
吾無其功、敢有其実乎。吾小人、不可以厚誣君子。
吾その功無し、あえてその実有らんや。吾小人なり、以て君子を厚誣すべからず。
「あっしには実際には何の功績もありやせん。それなのに、あっしに実際に功績があったように取り扱っていただくのは如何なものでしょうか。あっしはしがねえニンゲンでやんす。荀罃のだんなのような身分有るお方を「うそつき」にさせてしまうわけにはいきやせん」
と。
そして、
遂適斉。
遂に斉に適(ゆ)けり。
晋での滞在を切り上げて、早々に斉に去ってしまった。
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「春秋左氏伝」成公三年(紀元前588)より。
こういう人たちが、やがて戦国からさらに後の漢代に、「賈侠」(恩義を大切にする商人)といわれるようになるのである。
・・・というようにふつうには解説されるのですが、実際にこの商人、そんな立派な人であったのであろうか。
わたくしも小人の一人ですから、この商人のキモチを推測するに、彼は「荀罃さまの脱出に成功しなくてもいいや、そのときは裏切ってしまえ」ぐらいに思っていたのではないかと思います。別にはじめから裏切るつもりではないのですが、「いい加減」な気持ちであったのではないか。「いい加減」にやっていたのに、荀罃がいつまでも感謝してくれているので、「バレると手のひらを反して怒られるぞ。イヤだなあ・・・」と思って、斉に逃げ出したのではなかろうか。
・・・そうか、衣装袋で脱出できるのか・・・。よし、それなら・・・