←カエル人間たち。にんげんの無意識は爬虫類や両生類などに象徴化されるんだそうですよ(byユング)
台風8号が通り過ぎて行き、暑くてムシムシの日でした。それにしても台風が来ると用水路とか堤防や防波堤の様子が見たくてしようがなくなってまいります。「危険だ」とみなさんおっしゃるのですが・・・
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むかしむかし、おおむかし。紀元前の16世紀ごろ、のチュウゴクでのことでございます。
天下の主である夏の桀王は悪政を敷いて、人民はみな困っておりました。
夏の支配下に「商」という小さな都市国家がありまして、その君主である湯という若者は、人民どもの苦しみに大いに同情し、悪い桀王を討伐しようと思い立った。
そこで
因卞随而謀。卞随曰、非吾事也。
卞随(べんずい)に因りて謀(はかいごと)す。卞随曰く「吾が事にあらざるなり」と。
賢者の卞随に相談しようとした。すると卞随は言うた、
「それはわたしには関わりの無いことでございます」
と。
そこで湯は訊ねた。
孰可。
孰(たれ)か可なる。
「それでは、誰なら相談に乗ってくれると思いますか」
卞随は答えた。
吾不知也。
吾知らざるなり。
「さあ・・・。わたしは知りません」
「そうですか・・・」
湯は今度は、別の賢者・務光に相談しようとした。
すると務光は言うた。
非吾事也。
吾が事にあらざるなり。
「それはおいらには関わりの無いことでございます」
と。
そこで湯は訊ねた。
孰可。
孰(たれ)か可なる。
「それでは、誰なら相談に乗ってくれると思いますか」
務光は答えた。
吾不知也。
吾知らざるなり。
「さあ・・・。おいらは知りません」
湯は今回はさらに食い下がり、
伊尹何如。
伊尹は何如(いかん)ぞ。
「それでは、伊尹さんなら相談に乗ってくれると思いますか?」
と問うた。
務光はにやにやしまして、答えて言う、
強力忍垢、吾不知其他也。
強力にして垢(く)を忍ぶ、吾その他を知らざるなり。
「あのひとは武力の使い方を知っており、また恥や苦労に耐えることができまっちゅね。しかしそれ以上のことはおいらは知りません」
と。
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その後、湯は伊尹とはかりごとを回らし、ついに夏の桀王を討伐して悪を除いた。
桀王の討伐を終えると、湯はまた卞随を訪ね、
「ようやく悪い桀王を除くことができました。これから世の中を太平に治めていくにはあなたのような賢者に王になっていただく方がよいと思います」
と、彼を王位に即けようとした。
卞随、「うひゃあ」と驚いて曰く、
后之伐桀也謀乎我、必以我為賊也。勝桀而譲我、必以我為貪也。吾生乎乱世、而無道之人再来漫我以其辱行、吾不忍数聞也。
后(きみ)の桀を伐つや我に謀すは、必ず我を以て賊と為さん。桀に勝ちて我に譲るは、必ず我を以て貪ると為さん。吾、乱世に生まれ、無道の人再び来たりて我をその辱行を以て漫(けが)さんこと、吾は数聞(さくぶん)するに忍びざるなり。
「お殿さまが桀王を討伐されるためにわたしに御相談くださったときには、わたしは「テロリスト」と指さされるのがイヤだったのでございます。その後桀王を討伐して、その成果をわたしにお譲りになられるのをわたしが受けたら、わたしは今度は「欲深者」と批判されましょう。
わたしたちが生きているのはこんな乱れた世の中でございます。やがて非道な(あなたのような)ひとがまた現れて、「欲深者をゆるすな」とわたしを攻撃することになるでしょう。わたしはそんな批判をたびたび聞くのには堪えられません」
と。
そして、よっぽどイヤだったらしく、
乃投稠水而死。
すなわち稠水に投じて死す。
ただちに稠水という川に飛び込んで、
―――どぶん。ぶくぶく。
と死んでしまった。
そこで湯はまた務光を訪ね、
知者謀之、武者遂之、仁者居之、古之道也。吾子胡不立乎。
知者はこれを謀り、武者はこれを遂げ、仁者これに居るはいにしえの道なり。吾が子なんぞ立たざるや。
「頭のまわるやつが計画を立て、決断力のあるやつがそれを遂行し、その後には心の寛大な賢者が治める、というのが古来よりも道です。いまや賢者の先生が王位に即くときが来たのではないでしょうか」
と、彼を王位に即けようとした。
務光、「どひゃあ」と驚いて曰く、
廃上、非義也。殺民、非仁也。人犯其難、我享其利、非廉也。吾聞之、曰、非其義者、不受其禄、無道之世、不踐其土。況尊我乎。吾不忍久見也。
上を廃するは義にあらざるなり。民を殺すは仁にあらざるなり。人その難を犯し、我その利を享くるは廉にあらざるなり。吾これを聞く、曰く「その義にあらざる者はその禄を受けず、無道の世にはその土を踐まず」と。いわんや我を尊ぶをや。吾、久しく見るに忍びざるなり。
「お仕えしているひとを滅亡させるということは正義なのでしょうか。討伐の際に人民も巻き込まれて殺されたとすると仁愛といえるのでしょうか。そして、他人が困難なところを成し遂げて、自分がいいところだけ取る、というのは決して清廉な行為とは言えますまい。
おいらはこのように聞いたことがあります。
―――不正義なひとから給与をもらうな。道義の無い国の土地にとどまるな。
と。それだけでなく、そんな状況で自分が尊貴な立場に立つなんてことが・・・。おいらはこんな世の中に長くいるのはもうイヤだよう」
やっぱりよっぽどイヤだったらしく、
乃負石而自沈於廬水。
すなわち石を負いて自ら廬水に沈みぬ。
ただちに重い石を背中に背負って(浮かび上がらないようにし)、廬水という河川に、
―――どぶん。ぶくぶく。
と沈んでしまった。
ここにおいて、湯は自ら王位に即いた。
これが殷の成湯王である。
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「荘子」第二十八「譲王篇」より。この章はこういう王位を譲られそうになる、→「どぶん、ぶくぶく。」という話がいくつもいくつも集められていて、いい加減飽きてまいります。
もしかしたらわたくし肝冷斎が台風時に危険な用水路や河川や海に近寄りたがるのは、この卞随や務光の無意識下における影響なのかも知れません。だから「シゴトさせてやる」と言われるといつも「うひゃあ」「どひゃあ」と驚き慌てながらシゴトをしない理由を一生懸命考えはじめるのか。無意識のせいならしようがないですね、うっしっし。