明日はソウルで中韓首脳会談とのこと。むしむししてまいりましたねー。
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新羅の文武王(文虎王)・金法敏の即位の初め(唐の龍朔元年(661))のこと、
泗南海中有死女尸。
泗(しせい)南海中に死女の尸有り。
泗(しせい)は朝鮮南部、百済が最後に都したところである。
泗の南の海上に女の死骸が浮かんだ。
ただの女ではない。
身長七十三尺、足長六尺、陰長三尺。
身長七十三尺、足の長さ六尺、陰の長さ三尺なり。
一尺=30センチで計算しますと、
身長は21.9メートル、足の長さ1.8メートル、ワレメの長さが90センチあった。
翌々年の龍朔三年(663)、白村江戦に敗れて、百済滅亡。この女の死骸はその兆しであったのかも知れぬ。
ところで、「七十三尺」と中途半端に細かいのが何やら気になりますが、この大きさでも足の大きさは1.8メートル。「でかい!」と思っても実はまだこの人(足の大きさ2.2メートル)にはかなわないのである。さすがはチュウゴクだ。
或云、身長十八尺、在封乾二年丁卯。
或は云う、身長十八尺にして封乾二年丁卯(ひのと・う)のとしに在り、と。
別に、身長は5.4メートルで、唐の乾封二年(667)のことであった、ともいう。
だいぶん大きさ違いますが、それでもでかい。
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高麗・僧一然「三国遺事」巻二より。今のところはまだこんなの現れていませんね。
本日の夕は岡本全勝さんやその元部下のワシントン帰りのIG氏らと座談。お二人のシゴト観などを聞いて勉強した。我が国の将来のことなども(少しだけ)。食い過ぎた。