いろいろ後悔することの多い一日でちたね。子ども心にもつらかった・・・
・・・おっといけない、つけひげ、つけひげ、と。・・・よいちょ。えー、うおっほん。わしは肝稗道人ですじゃ。
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今日は「春秋左氏伝」魯・僖公二十年(紀元前640)の冬の事件について。
楚の近くに随という小さな国(都市国家)がありました。この国は楚に叛いた。
そこでこの年の冬、楚の令尹(宰相)・闘穀於菟が兵を率いて随を討伐し、和議を結ばせて引き上げた。
―――事件はこれだけ。
さて、この事件について、立派な人(「君子」)が評して謂う、
随之見伐、不量力也。量力而動、其過鮮矣。
随の伐(う)たるるは、力を量らざるなり。力を量りて動けば、その過ちは鮮(すく)なきかな。
随国が討伐されたのは、自分たちの力量を把握していなかったからである。自分たちの力量を把握していれば、失敗することは少ないであろう。
そうですよ、みなさん。行動するときは自分の力量をよーく把握しなければならんのですぞー。
すなわち、
善敗由己、而由人乎哉。詩曰、豈不夙夜、謂行多露。
善・敗は己に由(よ)り、人に由らんや。詩に曰く、「あに夙夜ならざらんや、謂、行(みち)に露多し」と。
成功するか失敗するかは自分のせいなのであり、他人のせいということはないのだ。詩経にも次のように歌われている。
「たしかにもう夜明け間近だけれど、道には夜露が多いようだから」
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成功するか失敗するかは自分のせいだ、というところまではわかりますが、この「詩経」の引用句はどういうことでありまちょうか?
夜明けは近いけれど夜露が降りている―――ということがその直前の文章と何の関係があるのか?
この詩句は、「詩経」の「召南」篇に収められている「行露」(道の露)という詩から引用されているようです。どういう詩なのだろうか・・・
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と盛り上がった(みなさんは盛り上がってないとは思いますが)ところですが、アタマも痛く頭痛にしてきましたので、今日はここまで。