平成26年5月25日(日)  目次へ  前回に戻る

 

明日はもう月曜日・・・。

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「・・・では、古楽府「蒿里」(こうり)のうたを歌いまーちゅ」

明日は月曜日だと思うとイヤになってまいりますが、おいらは元気を振り絞って歌いまちたよ。

蒿里誰家地、聚斂魂魄無賢愚。

鬼伯一何相催促、人命不得少踟蹰。

蒿里は誰家の地ぞ、魂魄を聚(あつ)め斂(おさ)めて賢愚無し。

鬼伯は一(いつ)に何ぞ相催促す、人命少(しばら)くも踟蹰するを得ず。

「蒿里」というのは山東の泰山の南にある山の名前なのだそうです。戦国末のころ、山東のひとびとは人は死んだらその山に行くのだ、と信じていた。「魂・魄」(こん・ぱく)はいずれも「たましい」ですが、「魂」は心を、「魄」は体をつかさどるとされる。「鬼伯」は霊魂の管理人、すなわち「死神」。「踟蹰」(ちちゅう)はつまづき立ち止まること。

 蒿里の山はいったい誰の土地だろうか、カシコイのもオロカなのも、あらゆるひとのたましいを集め収めて差別も区別も無い。

 死神さまはなんと激しく急がせになるのであろうか、ひとの命はしばらくも立ち止まることができず、蒿里の山へと追われていく。

「なんだね、そのうたは」

「あい。この「蒿里」のうたも漢代から伝わっている古楽府でございまして、もと田横の門人が作ったもの。作られたときは、昨日の「薤露」のうたと合わせて一曲になっておりましたが、晋・崔豹「古今注」に曰く、

至漢武帝時、李延年分為二曲。

漢武帝の時に至り、李延年分じて二曲と為す。

漢の武帝の時代に、宮廷音楽家の李延年が、分けて二つの曲にしたのである。

そして、

薤露送王公貴人、蒿里送士大夫庶人。使挽柩者歌之、亦謂之挽歌。

「薤露」は王公貴人を送り、「蒿里」は士大夫・庶人を送る。柩を挽く者をしてこれを歌わしむ、またこれを「挽歌」と謂えり。

「薤露」のうたの方は王さま・公爵さま・もろもろの貴族の方々の御葬送のときに、「蒿里」のうたの方は実務官僚である士大夫や民間人の葬送のときに、それぞれ棺を載せた車を挽くひとたちに歌わせたのでございます。このため、このような葬送のときの歌を「挽歌」(ひつぎを挽くときのうた)とも申すようになりました。

のだそうでございまっちゅる」

すると良識派曰く、

「なんだ、不吉なうただなあ」

「だって、明日の月曜日のことを考えると不吉な歌しか出てきませんよ。明日から五日も平日なんでちゅよー」

「もういい、帰れ」

「わかりまちたー、では帰りまーちゅ」

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とはいえどこに帰ればいいのか。この精神状態では明日からもう会社行かない可能性高いので、見つからないところに隠れないと・・・。宋・郭茂倩編「楽府詩集」巻二十七より。

 

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