平成26年5月24日(土)  目次へ  前回に戻る

 

土曜日でちたー。うほほほー。

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「肝冷童子くん、うれしそうだな。今日はいい天気だし、何か歌でもうたいたまえ」

とエラそうに良識派が言いやがるので、

「あい、わかりまちた、いい天気なので一曲うたいまーちゅ」

心を籠めて歌いまちた。

薤上露、何易晞。

露晞明朝更復落、人死一去何時帰。

薤(かい)上の露、何ぞ晞(かわ)きやすき。

露は晞くも明朝また落つ、人死にて一たび去ればいずれの時にか帰らん。

「薤」(かい)は「にら」。レバニラ炒めの「ニラ」です。

 にらの葉の上に降りた露よ、(日が昇れば)なんとあっという間に乾いてしまうことか。

 けれど露は乾いても明日の朝にはまた降りるだろう。ひとが死んでどこかに行くと、帰って来ることがあるだろうか。

「なんだね、そのうたは」

「あい。これは漢代から伝わっている古楽府「薤露」(かいろ)の歌でちゅ。このうたは、晋・崔豹「古今注」に曰く、

本出田横門人。横自殺、門人傷之、為作悲歌。言人命奄忽、如薤上之露、易晞滅也。

もと田横の門人に出づ。横自殺し、門人これを傷みてために悲歌を作る。言うに人命奄忽なること薤上の露の如く、晞き滅びやすきなり。

もともと漢の初めころのひと田横の食客たちが作ったのだ。

田横は戦国の斉の王族の末裔で、秦の時代にも山東に大きな影響力を持っていた。天下を統一した漢の高祖が彼を招集したとき、どのような対応をされるかわからない、無事ではすむまいと感じて、戸郷というところで自殺してしまった。その食客たちは漢に反抗して死んだ主君のことを大っぴらに哭して悲しむことができず、

田横を追悼するためこの歌を作ったのだ。

内容は「人間の命のたちまちに尽きること、にらの葉に朝置いた露が乾いてあっという間に消えていくのと同じようだ」と言うのである。

なお、「史記」によれば田横の食客たちは田横の棺を山東に引き戻して葬儀を営むと、数百人があとを追って自殺した。漢の高祖、田横の徳と食客たちの友誼の厚いのに大いに感動した、ということでございまちゅー」

すると良識派曰く、

「なんだ、不吉なうただなあ。もういい、別の歌をうたえ」

「わかりまちたー、では「蒿里」のうたを歌いまーちゅ」

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しかしもう夜も遅いので歌なんかうたうと隣のひとに怒られますので、また明日〜。宋・郭茂倩編「楽府詩集」巻二十七より。

 

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