休もうと思った―――のですが、電話する勇気が出ずに出勤。じっと大人しくしておりました。
午後、一天にわかに掻き曇って風雨すごかったが、すぐ晴れた。夜は寒かった。
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のどがよくないので、昨日の続きをちょいちょいっとやって、寝ます。
夜中不能寐、 夜中(やちゅう)、寐(ねむ)るあたわず、
起坐弾鳴琴。 起坐して琴を弾鳴す。
夜中に眠れなくなったので、
起きて座りなおして琴を弾き鳴らした。
昨日はここまででした。
続き。
琴を弾いておりますと、
薄帳鑒明月、 薄帳は明月に鑒(て)らされ、
清風吹我衿。 清風は我が衿を吹けり。
「鑒」(カン)はふだんあんまり見かけない字ですが、「鑑」と同じ字。「かがみ」。動詞に使われて、「反射する」「照らす」。
薄いカーテンは明るい月光に照らされており(光はカーテンの内側まで洩れてくるほどだ)、
すがすがしい風が吹いてきて、わたしの襟のあたりを涼しくしてくれる。
琴をつま弾くのを止めて、夜のしじまに耳を澄ましてみる。遠くから聴こえてくるものがある。あれは?
孤鴻号外野、 孤鴻は外野に号(さけ)び、
翔鳥鳴北林。 翔鳥は北林に鳴く。
一羽きりでいるのであろうか、鴻(こうのとり)が城外の原野で声をあげた。
飛び交っているらしい鳥たちが、これは北の林で鳴いている。
古来「孤鴻」は孤立した賢者、「翔鳥」は群れ集う佞臣たち、を暗示するといわれておりまっちゅ。作者がほんとうにそう考えていたのかどうかはわかりません。阮籍の「詠懐」詩は当時のひとにさえわからないようにおしかくした現実社会の暗喩に満ちている、と言われます。
―――わたしはどちらと友になろうか。
月の光と涼風に誘われるように、わたしは戸外に出てみたが、
徘徊将何見、 徘徊するもまさに何をか見ん、
憂思独傷心。 憂思、ひとり心を傷ましむ。
ふらふらとさまよってみても、何も見るべきものは無いのだ。
憂いに沈む思いのみが、さらにわたしのこころを痛めつけるだけだった。
以上。
おしまい。
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三国・阮籍「詠懐」詩より「夜中不能寐」篇。いろいろつらいみたいです。貴族なのに。「詠懐」はチュウゴクの文学史上、はじめて自己のもだし晴れぬ心をうたった詩として高く評価されています。阮籍は後漢の建安十五年(210)の生まれ、魏の皇族・曹氏とも簒奪を目論む司馬氏とも深いかかわりがあり、いろいろ難しい状況下を生き抜いて、景元四年(263)に卒した(魏→晋の禅譲はその翌々年)という人だから、三世紀の半ばごろ、まさにぎっちら波越えヒミコの二三九(ふみく)るころの人間、前方後円墳のころによくぞこんな深く捩れた心を書き遺したものだと感心します。
ちなみに今日は本HPを岡本全勝さんが大々的に紹介してくれていますよー。すごいですね。わたくしども肝冷斎一族はもう現実社会では枯れておりますが、ぶうぶうぶう、と愚痴ることにはまだ脂乗ってますね。