平成26年5月6日(火)  目次へ  前回に戻る

 

おいらは行方不明の肝冷童子ちゃんでちゅ。いよいよコドモの日も終わり、明日からはツラい現実社会に戻らねば・・・。しかし下記の陳允升というひとは、「毎日がコドモの日」だったみたいなのです。

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唐の終わりごろのことでっちゅ。

陳允升というひとはもと江西・鄱陽の生まれで、その実家は代々の猟師であったが、彼は幼いころからイキモノを殺すことを好まず、また肉を食べようともしなかった。

また、

不与人交言、十歳詣龍虎山入道。

ひとと交言せず、十歳にして龍虎山に詣り入道せり。

ひとと言葉を交わすということがなかった。わずか十歳のときに、江西の龍虎山に参詣し、そのまま道士になるために入門してしまった。

まだコドモだというのに、

棲隠深邃、人鮮得見之者。

深邃に棲隠し、人、得てこれを見る者鮮(すくな)し。

深い山奥に隠れて生活し、彼の姿を目にしたひとは少なかった。

たまたま家族が捜しに行ったときも、家族の姿を目にすると、

奔走不顧。

奔走して顧みざりき。

逃げ去ってしまって振り返りもしなかった。

という。

年月が流れて唐の最後の年号であります天祐年間(904〜907)に、

人見於撫州麻姑山。

人、撫州・麻姑山において見る。

同じ江西の撫州にある道教の根拠地・麻姑山で、彼を見かけたひとがあった。

計其去家、七十年矣。而顏貌如初。

計るに、その家を去りてより七十年なり。しかして顏貌初めの如し。

家を出て行ったときから数えてすでに七十年が経過していたが、どうみても顏や姿は家出したころに十歳ぐらいのままであった。

コドモのままだったのでちゅー!

五代十国の十国の一である南唐の昇元年間(937〜942)には、何かウマが合ったのであろう、允升は江西の刺史・危全諷の招きを受けてその保護下に入った。この時期は家出してから110年経過していますので、年齢的には120歳ぐらいになったので、彼は陳百年(百歳の陳さん)と呼ばれるようになっていました。しかし姿かたちはコドモである。

危全諷の官邸の中に一室をもらって暮らしていたのですが、突然すがたを消して数日後にはまた部屋の中に突然すがたを現す、というようなことが何度もあった。

ある晩、危全諷が

「豊城の橘(みかん)は美味だからなあ・・・」

と呟いていると、允升、

方有一船橘、泊牢城港。今為取之。

まさに一船橘有りて、牢城の港に泊す。今ためにこれを取らん。

「ちょうど今晩は、そのみかんを積んだ船が運河を通って牢城の港に停泊していまちゅよ。今からあなたのために取ってきてあげまちゅね」

なんでそんなことを知っているのか? ・・・いずれにしろその港までは十五里(6キロぐらい)ある。

「明日にでも使いを出して・・・」

と全諷が口にしている間に、允升は

「よいちょ、と」

と立ち上がり、部屋からひょい、と出て行った―――

―――と、次の瞬間にはひょい、と部屋に入って来て、

「持ってきまちたー」

と、にこやかに言う。

携一布嚢、可数百顆。因共食之。

一布嚢に数百顆ばかりを携えたり。よりてともにこれを食らう。

一袋の布ぶくろを手にしていて、その布ぶくろからはごろごろと出るわ出るわ、数百個のみかんが転がり出してきたのである。そこで官舎中のひとに分けて食べた。

その後、全諷の家に婚礼のことがあり、全諷は贈り物にするために、配下の者をして域内の黄金を買い上げさせた。

しかし、

少不足用。

少なくして用に足らず。

用意したい量にはとても足らない。

「もう日が無いのだぞ、どうするんだ?」

と配下の者を叱りつけているところに允升がまいりまちて、

「どぼちたの?」

と事情を訊くのであった。

「かくかくしかじか・・・」

「わかりまちたー」

允升は

乃取厚紙以薬塗之、投於火中。皆成金、因以足用。

すなわち厚紙を取りて薬を以てこれに塗り、火中に投ず。みな金と成り、因りて以て用に足れり。

厚紙を取り寄せると、これに(秘密の)薬を塗りつけて、ぽいぽいと火の中に投げ込んだ。すると厚紙は燃えず、取りだしてみるとすべて黄金に変化していて、これを用いて婚礼を無事終えることができたのであった。

允升は

「うっしっしー」

とたいへん得意そうであった、という。

しばらく後、全諷は南唐に隣り合った銭氏の呉越国との戦争に一軍を率いて出征した。

この時、允升は

「おいらはコドモだから戦争には行きませんが、ひとつ忠告をいたちまちゅね。

慎勿入口中。

慎んで口中に入るなかれ。

絶対に口の中には入ってはいけませんよ」

と教えたのだが、全諷は何のことかわからなかった。

出征すると、全諷の水軍はある場所で呉越軍の烈しい奇襲を受けた。

全諷が幕下の者に、

「ここはなんという土地なのか」

と訊くと、幕僚の一人が答えていう、

象牙潭。

象牙潭なり。

「象の歯の淵と申しまする」

全諷、茫然とし、

「なるほど、象の口の中に入ってしまっていたのか。ならば助かるまい」

なお将士ともに勇戦したが、ついに全滅した。

その敗報が届いたときには、もう允升はすがたを消してしまっていて、その後、彼がどこでどうなったのか、知るひとはいない。

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宋・呉叔「江淮異人録」より。肉を食べずに誰とも口を利かないでいたら、ずっとコドモでいられるのか。やっぱり明日から社会に戻るの止めた。

 

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