本日は寒の戻りというやつらしく、寒かった。夜は白いモノがちらちらするので雪片かと思うほどであったが、風に捲かれた花びらであった。
むかしはこんな日でもハダカでいるやつがいたものである。
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黄安なる者は山西あたりのひとであったということだが、
年可八十余、視若童子。
年八十余ばかりなるも、視るに童子のごとし。
八十何歳かだとみえるのだが、よくよく見てみると童子のように見えてくるのであった。
わーい、童子どうし、おいらとお友だちになれるといいでちゅねー。
ところが、黄安ちゃんは、
常服朱砂、挙体皆赤、冬不着衣。
常に朱砂を服し、挙体みな赤く、冬も衣を着ず。
つねに固体の水銀を服用し、身体中が燃えるように赤く色づいていて、冬も服を着ないでいるのであった。
というかっこよさ。イカしてまちゅー。寒がりで冬は新聞紙を巻いて震えているおいらとは、同じ童子とは思えないほどでちゅ。
しかも
坐一大神亀。
一大神亀に坐す。
でかくて神秘的な亀に乗っていた。
アコガレの「亀乗り」でもあったのです。
時人問子坐此亀幾年。
時人、問うに「子、この亀に坐して幾年ぞ」と。
当時の人が黄安に質問した。
「あなたがこの亀に乗ってから、どれぐらいの年月が経っておられるのか」
と。
八十歳ぐらいに見える、ということですから、それぐらいかな、と思って訊いたのだと思いますが、さにあらず。
答えていうに、
「さて、何年になりますか・・・。
伏羲氏始造網罟、有此亀以授吾。亀背已平。
伏羲氏、始めて網罟を造るに、この亀を有して以て吾に授けたり。亀背すでに平らぐ。
人類の文明を開いた伏羲(ふっき)さまが、(水中のドウブツを捕まえるための)網とかワナを発明したときにこの亀を捕まえて、わたしにくれたのです。わたしが座っているうちに、亀の甲羅がすり減って平らになってしまいました。
こいつは、
畏日月之光、二千歳而一出頭。我坐此亀已来、五遇出頭矣。
日月の光を畏れ、二千歳に一出頭す。我のこの亀に坐してより已来、五たび頭を出だすに遇いたり。
太陽や月の光をいやがりましてな。ために、二千年に一回しか、甲羅の中から頭を出さないのです。わたしがこの亀に乗ってから、五回、こいつが頭を出すのに遭遇しております」
これによって、世のひとびとは黄安が一万歳であり、人類の文明も一万年である、と知った。
亀はなかなか動かなかったが、黄安の方には何か思うところがあったのであろう、ある時、
負亀而移。
亀を負いて移る。
亀を背負ってどこかに行ってしまった。
それ以降、その姿を見た者はいない。
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後漢・郭憲(字・子横)「洞冥記」より。この書物も「太平御覧」(巻931)等に引用されているだけで今は佚しております。
2000×5=1万(ただし、+−1999歳の誤差あり)だ、とコドモにもわかりますよね。黄安はそんな計算も他人にしてもらわないとできなかったのか? いずれにせよ今は1万2000歳近くなって、もっとカッコよくなっていることであろう。