さくらも咲いたので、今日は春嵐でした。花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ。
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明初の洪武元年(1308)、明の部将・湯和が福建の町を攻略しようとしたときのことじゃ。
湯は一応、南京に創建間もない大明国の御史大夫の官職をもらっていたが、実際には群盗あがりのわずかな兵士を率いて福建城攻略を命じられたのである。
従海道進兵、遇漁翁。
海道より兵を進むるに、漁翁に遇う。
海から兵を進めていたところ、漁師のじじいに遭遇した。
兵士らによると、そのじじいが湯和に面会を求めている、という。
「いなかの漁師風情がわしに何の用があるというのだ?」
湯和は断ろうとしたが、荒くれの兵士らが、不思議に気弱そうに言うのであった。
「それがその、そのじじいは・・・」
貌藍色。
貌、藍色なり。
「か、顔の色が、藍色をしているのでございます」
「なんじゃと?」
漁師のかっこうをしてはいるが、人間の容貌ではない、というのであった。
会ってみると、確かに肌の色は藍色、眼はひとみと白眼の区別も無くすべて金色、くちびるは紅く、どう考えても普通の人ではない。
漁師言う、
子勿殺一人。吾指子所攻之路。
子一人を殺すこと勿れ。吾、子に攻むるところの路を指ささん。
「おまえさま、罪の無い人民を殺したりしてはなりませぬぞ。それが誓えるなら、わしはおまえさまに福建城の後略路を教えて進ぜよう」
金色の目で見据えながら、紅いくちびるで言うのである。声は木と木、あるいは金属と金属がこすれあうときに発する音のようであった。
「あ、あいわかった」
湯は肯った。
藍色の漁師の後について湯は兵士を引き連れ、ついに
直抵城下。
直に城下に抵(いた)る。
誰にも見つかることなく城壁の下に取りつくことができた。
そのまま夜闇に乗じて城壁を越え、城内で突然
どん、じゃんじゃんじゃーん・・・
とドラを鳴らし、高らかに
「大明の御使大夫・湯和、この城を落としたりー!」
と宣すると、守備隊の司令は大いに驚き、
「もはやこれまで」
と
全城降附。
全城降り附す。
町全体が降伏したのであった。
湯和はとりあえず部隊に掠奪を禁止した上で、
「やつにもほうびをとらさねばな」
と漁師を探したが、その姿はどこにも無かった。
翌朝、司令に案内させて城内の廟に赴き、町の守り神に挨拶をしようとしたところ、
昔之漁翁乃大廟殿神也。
昔(さき)の漁翁、すなわち大廟殿の神なり。
最大の祠に祀られていた神は、昨夜の漁師であった。
神像の顔色は藍色に塗られ、眼は黄金、口は紅色であったのである。
「なるほど、昨夜の漁師は守り神であったのか」
湯和は大いに感激した。
以来、
至今祀之。
今に至るまでこれを祀れり。
現代(16世紀後半)に至るまで、この神に香華を捧げる者が後を絶たない。
のである。
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明・施顕卿「奇聞類紀摘抄」巻二より。(葉子奇「草木子余録」に記載されていることだという。「草木子余録」は「草木子」の続編として書かれたものだが、すでに散佚した。)
わたしも明日になったら、「昨夜までのじじいはどこに行ったのだ!」と探しても見当たらない、というところだけ、この神さまを真似したいと思います。さようなら。