東京に戻りました。また寒冷斎になった。
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唐・順宗朝(805.一年だけ)の改革派バリバリ官僚であった柳宗元が巻き返しを受けてこの年の秋に飛ばされました。改革派は首領クラスの王叔文らは死を賜い、柳宗元、劉禹錫など八人のバリバリは僻地の司馬(警察署長のイメージですが、彼らは「員外」すなわち署長の格は持っているが実務は無い、という扱い)で飛ばされましたので、この八人の若手ばりばりの当時としては革命的な考え方を持っていたといわれる官僚を「八司馬」とも申しまして、その後も朝廷ではいろいろ派閥抗争が続きますが、この八人はほぼ中央に呼び戻されることが無かった(20数年後に劉禹錫は呼び戻されました。そのころはもう柳宗元は鬼籍に入っておった)。それほど「行き過ぎ」ていたと思われていたのである。
柳宗元は永州に飛ばされました。
彼は別にその後も反省とかしないので、改革派のままですが、詩だけは山水派である。
溪路千里曲、 溪路、千里の曲、
哀猿何処鳴。 哀猿、いずこにか鳴く。
孤臣涙已尽、 孤臣は涙すでに尽き、
虚作断腸声。 むなしく断腸の声を作す。
溪谷の道はどこまでも曲がりくねりながら続いている。
かなしげなおサルの啼き声がどこかから聞こえる。
ひとりぼっちのおいらは、もう涙も尽きてしまったのだ。
おサルよ、おまえのはらわたを断つような声も、もうおいらの心には響かないのだ。
「入黄溪、聞猿」(黄溪に入りて猿を聞く)の五絶である。おサルさんの断腸についてはこちら(○断腸)を参照。
行き過ぎはいけませんね。
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寒いのでどうなるかわかりません。また明日、お会いできたらお会いしましょう。