今日も寒いので簡潔に。
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南朝宋の元嘉二十年(443)、王懐中というひと、親族の葬儀を終えて墓地から帰る途中のこと。
「・・・懐中」
と上から呼びかける声がするので見上げると、
見、樹上有媼。
樹上に媼有るを見る。
木の上にばばあが居やがるのが見えた。
「どこのばばあだろう?」
と思ってよくよく見ますと、
頭戴大髪、身披白羅裙。足不践柯、亭然虚立。
頭に大髪を戴き、身には白羅の裙を披(き)る。足は柯を践まず、亭然として虚しきに立てり。
頭上に髪をまとめあげているのだが、それが異常な大きさになっており、ふつうの人ではない、と知れた。また、白いうすぎぬのスカートを着けているが、それは人間界の織物では無さそうである。
そして・・・両方の足は木の枝に乗っかっていないのだ! はっきりと、虚空に立っているのである。
「これはマズイやつか・・・」
懐中は俯き、何も答えずにそのまま通り過ぎた。
「あれはなんであったのであろうか」
家に帰ってそのことを話していると、
其女遂得暴疾、面乃変作向樹杪鬼状。
その女、ついに暴疾を得、面はすなわち変じて向(さき)の樹杪の鬼の状を作す。
むすめの一人が、突然体調を崩して倒れた。
「大丈夫か」
と顏を覗き込むと、そのむすめの顏が・・・
うひゃー! さっきの樹の枝にいった妖しいばばあの顏に変わっていたのだあ―――ッ!
あわわ。
大騒ぎになったが、ある老人が、「麝香を用いてみよ」と教えてくれたので、
与麝香服之、尋復如常。
麝香を与えてこれを服するに、ついで常の如きに復す。
むすめに麝香を飲ませたところ、やがてもとの顏に戻ったのであった。
まことに
世云麝香辟悪。此其騐也。
世に云う、「麝香は悪を辟(さ)く」と。これその騐(けん)なり。
「騐」は「験」の俗字だそうです。
世間では「麝香は悪しきものを避ける」というが、この事件はその証しであろう。
よかった、よかった。
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宋・劉敬叔「異苑」巻六より。顏が変わったところまではコワかった。しかし、いったいどういうタタリなり妖怪であろうか、という答えも与えられずに解決しまして、麝香のステマ(ステルス・マーケティングの略)になってしまいました。
「麝香」(じゃこう)は、明の李時珍の編集に係る「本草綱目」(釈名、集解)によれば、
梵書謂麝香曰莫訶婆伽。
梵書に麝香を謂いて曰く「莫訶婆伽」と。
インドでは麝香のことは「むかばぎゃ」というのだ。
そうである。「ムスク」の音がそこはかと変化したようにも聞こえますね。
「麝」というのは、中台山の谷や益州・雍州などの山中に棲息している「のろ」ないしは「鹿」に似た獣で、その体から採れる香料が「麝香」である。春分にとれるものが一番良質であるが、製法によって三等あるとされる。
第一生香、名遺香、乃麝自剔出者。然極難得、価同明珠。
第一は「生香」、「遺香」と名づく、すなわち麝の自ら剔出するものなり。しかるに極めて得難く、価は明珠に同じ。
第一等がナマのままの香料で、「遺していった香料」という。ジャコウジカが自分で切り落としていったものだ。しかしこれはきわめて入手困難で、同じ重さの真珠と交換されるほど高価なものである。
其香聚処遠近草木不生、或焦黄也。
その香の聚処は、遠近草木生ぜず、あるいは焦黄なり。
この「遺香」がかたまって落ちているところは、かなりの範囲の草木が消滅するか、枯れて黄色くなってしまっている。
それほど香が強烈なのだ。
其次臍香、乃捕得殺取之。
その次は「臍香」なり、すなわち捕得して殺してこれを取る。
第二等は「ヘソからとった香料」という。ジャコウジカを捕まえて、殺してヘソに溜まっているのをこすりとったもの。
其三心結香。乃麝見大獣捕逐、驚異失心狂走墜死。
その三は「心結香」なり。すなわち、麝、大獣に捕逐され、驚異し失心狂走して墜死するあり。
第三等の最低のやつは「心が固体化した香料」である。ジャコウジカは、ほかの猛獣に追われ、びっくりして精神の平衡を失い、狂ったように走り回って崖などから落ちて死んでしまうことがある。
それを発見したときは、
破心見血流出脾上、作乾血塊者。不堪入薬。
心を破りて血流の脾上に出づるを見るに、乾血の塊を作すものあり。入薬に堪えず。
胸を割いて、心臓からの血流が脾臓の上に滲みだしているところを探ると、血が乾燥して塊りになっているものがある。これが「心結香」である。ただし最低のやつなので、薬物にすることはできぬ。
そうです。
ふつうは第二等のやつで、殺してヘソ(実際には雄性器の直上の体内らしいが)に溜まった分泌物を薬物や香料にするのである。
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女の子は寄ってくるけど妖怪はイヤがる・・・と思われます。
あんまり簡潔にはいかなかった。