はっぴー、ばれんたいん・でー!わーい、今日は神様からの贈り物でしょう、雪が降ってホワイトバレンタインデーでちゅよー。みんなよかったね。
おいらからもステキな贈り物を・・・。でも、おいらは大したモノ持ってない。そうだ、おいらからはみなさまに、人生の役に立つステキな言葉の贈り物をいたしましょう。
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チュウゴク文明が生み出した、社会を治めるために必要な「七個字秘訣」(七文字の秘訣)というものがあるのでございます。
ずっと候補官(役人の資格はあるが実際の職に任命されていないひと)であった瞿耐庵というひと、このひとは落ちぶれた富豪の三代目、無能力でたいへんな恐妻家ですが自分には甘い、という人物。このとき四十台後半。彼は、妻が漢口の総督の養女(元女中)とその義母という扱いになっている総督の第九夫人に取り入って、妻の運動のおかげでついにある小さな県の知事に任命される。赴任しよう(として妻に隠して新たに囲った妾の世話を頼みに来た)彼に対して、世の中の裏も表も知っている夏口の馬知事が、
我們做官人有七个字秘訣。
われら官をなすの人に、七个字の秘訣あり。
われわれが社会を治めていくには、「七文字の秘訣」というものがあるのじゃ。
と教えたものなのでございます。
―――と言いましたところ、「実人生に役に立つ?」「資格を生かすことができる?」「恋活に関連?」とみなさん寄ってきましたね。
さて、馬知事の言う「七文字秘訣」とは如何なるものか。
叫做一緊二慢三罷休。
叫(よ)びて「一緊、二慢、三罷休」となす。
いわゆる「一にはきつく、二にはゆったり、三にはお休み」じゃよ。
誰かが訴えごとがあってやってきたら、
先給人家一个老虎勢。
まず人家に一个の老虎勢を給え。
まずは被告を呼び出して、怒鳴りちらし怖がらせなければならない。
なにゆえとならば、
一来叫人家害怕、二来叫上司瞧着我們為事還認真。
一には来叫して人家を害怕し、二には来叫して上司を我ら事を為すにまた認真なりと瞧着す。
ひとつには人民どもを怯えさせるためであり、ふたつには上司に、われわれが真剣にしごとをしている、と思い込ませるためである。
これが、
便叫做一緊。
すなわち叫びて一緊となす。
いわゆる「一にはきつく」ということなのだ。
きつく出ると、相手(被告側)は怖がって、
自然会生出後文無数文章。
自然に会生して後文に無数文章を出ださん。
おのずと理解して、それからあとはいろんな方法で取り入ってくることになる。
上司は「一緊」のおかげでわれらが真剣にやっていると思い込んでいるから、われらを疑わない。その間に、
把這事緩了下来、好等人家来打点。
這(こ)の事を把りて緩了し下来せば、好等に人家は来たりて打点せん。
その事案について、ゆったりと(いい加減に)取り扱ってやれば、今度は被告側がなんとかうまく取り扱ってもらおうとやってくるわけだ。
這叫做二慢。
これを叫びて二慢となす。
これが「二にはゆったり」ということじゃ。
もちろん、このとき、うまく取り扱ってもらおうとしてくるときには、われらが役人になった目的のモノを持ってくるはず。
千里為官唯為財。唯要這個到手。
千里に官を為すはただ財のためなり。ただこの個の手に到らんことを要む。
千里のかなたまででも赴任して役人になるのは、ただおたからのためである。ただただ、例のモノが手に入ればそれでいいのだ。
(と言いまして、このとき、馬知事は二本の指を差しだし、それで○を作って見せた。)
無論原告怎么来催、我們唯是給他一個不理。
無論、原告怎(いか)ならんと来催するも、われらただこれ他(かれ)に一個の不理を給うのみ。
もちろん、今度は原告の方が「裁きはどうなっているのか」と急き立ててくるが、われわれはこれに対して、「ことわりなし」として取り上げないだけだ。
百姓見我們不理、他們自然不来告状。
百姓、われらの不理とするを見れば、かれら自然に来たりて告状せざるなり。
人民どもは、わしらが告訴を取り上げないのを見れば、だんだんと告訴などしてこなくなる。
這就叫做三罷休。
これすなわち叫びて「三罷休」となす。
これがつまり、「三にはお休み」というやつだ。
これは、「清訟」と言って、人民の訴訟を減らし、お互いが争うのを止めさせて、安らかに生活させてやる手法でもあるのじゃ。
ほかにもいろいろ手練手管はあるが、それは顧問の王召興に聞きなさい。彼はこの方面の練達の士だから・・・。
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李伯元「官場現形記」第四十回より。ああ、ありがたい先輩の御忠告。さすがに高い文明の国なので、こういった教えが伝わっているのだなあ。
みなさんの人生にも役に立ちますように・・・。え? もうとっくの昔から実践してるって?