寒冷ですね。今日はしごとで停泊中の船を見てきた。
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寒いので簡潔に。
晋の末、義熙年間(405〜418)のことです。
長江が聶湖と接するあたりに、どこからか、
有一板広数尺、長二丈余。
一板の広さ数尺、長さ二丈余なる有り。
幅1メートルぐらい、長さ5メートルぐらいの板が一枚、流れ着いた。
板はいつも中洲と岸の間の水路の上に止まっていたので、
采菱及捕魚者資此以自済。
采菱及び捕魚者、これを資(つか)いて以て自済す。
菱の実を採りに行く者や、釣りに行く者など、みなこの板を利用して水路を渡っていた。
ところが、あるとき、
数人共乗板、入湖。
数人ともに板に乗りて湖に入る。
数人で一緒にこの板に乗り、(竿さして)湖の方に入り込んだやつらがいた。
その中の一人が、
「ちょっとためしてみるか」
と、
試以刀斫、即有血出。
試みに刀を以て斫るに、即ち血の出づる有り。
ためしに刀を抜いて板を切ったところ、そこから血が出てきたのである。
「わわ、なんだこれ?」
驚いているうちに、たちまち
板仍没、数人溺死。
板は仍(よ)りて没し、数人溺死せり。
板は沈んでしまい、乗っていた数人はみな溺れ死んでしまった。
という。
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南朝宋・劉義慶「幽明録」より。
自分の乗っている船などに穴を明けているやつはよく見ますが(←もちろん比喩的な意味で。○○元○○とか)、板から血が出るとは珍しいことだなあ。