平成26年2月12日(水)  目次へ  前回に戻る

 

寒冷ですね。今日はしごとで停泊中の船を見てきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

寒いので簡潔に。

晋の末、義熙年間(405〜418)のことです。

長江が聶湖と接するあたりに、どこからか、

有一板広数尺、長二丈余。

一板の広さ数尺、長さ二丈余なる有り。

幅1メートルぐらい、長さ5メートルぐらいの板が一枚、流れ着いた。

板はいつも中洲と岸の間の水路の上に止まっていたので、

采菱及捕魚者資此以自済。

采菱及び捕魚者、これを資(つか)いて以て自済す。

菱の実を採りに行く者や、釣りに行く者など、みなこの板を利用して水路を渡っていた。

ところが、あるとき、

数人共乗板、入湖。

数人ともに板に乗り湖に入る。

数人で一緒にこの板に乗り、(竿さして)湖の方に入り込んだやつらがいた。

その中の一人が、

「ちょっとためしてみるか」

と、

試以刀斫、即有血出。

試みに刀を以て斫るに、即ち血の出づる有り。

ためしに刀を抜いて板を切ったところ、そこから血が出てきたのである。

「わわ、なんこれ?」

驚いているうちに、たちまち

板仍没、数人溺死。

板は仍(よ)りて没し、数人溺死せり。

板は沈んでしまい、乗っていた数人はみな溺れ死んでしまった。

という。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

南朝宋・劉義慶「幽明録」より。

自分の乗っている船などに穴を明けているやつはよく見ますが(←もちろん比喩的な意味で。○○元○○とか)、板から血が出るとは珍しいことだなあ。

 

表紙へ  次へ