平成26年2月8日(土)  目次へ  前回に戻る

 

今日は雪になりましたが、やっぱりしごとしているひとがたくさんいる。夜になってもたくさんいる。申し訳ない。

しかしおいらはコドモ。コドモにとっては「遊びがシゴト」である。ようし、おいら夜になってきたけど表に遊びに行ってこよう。吹雪みたいになってきているけど、まあいいや。

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ということで、昨日南島から帰ってきたばかりの肝冷斎は、吹雪みたいに強い風の吹く戸外に遊びに行ってしまいました。その間に、今日もゴーストライターの寒冷斎が昨日の続きを話させていただきます。

・・・その二年後、といいますから莫氏の明徳三年(1529)のこと、

見北国客人五六人到那処僵臥大哭。

北国の客人五六人の、那(そ)の処に到りて僵(たお)れ臥して大哭するを見る。

北方(シナ方面)から五〜六人の旅人がやってきて、兄弟の家の近くに倒れ込んで泣き喚いていたことがあった。

兄弟はこのひとたちに面会し、その故を問うたところ、言う、

吾乃馬騏之後、前此吾祖埋金。見有讖記遺来。不知今被何人掘取矣。

吾すなわち馬騏の後、さきにここに吾が祖金を埋む。讖記の遺され来たる有るを見る。知らず、今何人に掘り取らるるやを。

「われらは、明の将軍・馬騏の子孫でござる。かつて、このあたりに、われらの祖先は黄金を埋めた。その宝の地図が伝わってきております。ところがどういうことか、今やってきましたところ、何者かに掘り出されてしまっていたのです」

と。

兄と弟顏を見合わせ、

「百年も経っているのだから、誰かが見つけだして奪って行ったと考えるのが自然ではないか」

と喩すと、旅人いう、

取此財者、必有白犬三足以祭、始得之。夫白犬三足者、只惟広西黔州在之。

この財を取るもの、必ず白犬の三足なるもの有りて、以て祭りて始めてこれを得。それ、白犬の三足なるものは、ただ広西・黔州にのみこれ在り。

「この財宝を取り出そうとする者は、必ず三本足の白い犬をイケニエにして祀らなければ、それを手に入れることはできないのです。そして、三本足の白犬は、チュウゴク南部、広西の黔州でしか手に入れることはできません。

いったいどこのだれがどうやって、われらの先祖の財宝を奪って行ったのか・・・」

因取所牽白犬観之。

よりて牽くところの白犬を取りてこれを観せしむ。

そう言って、連れてきた白い犬を引っ張って、二人に見せてくれたのである。

あのとき屠った白犬にそっくりの三本足のイヌであった。

兄弟は、

「その犬を譲ってほしい」

と申し出、代わりに金三十斤、銀一百斤を旅人らに贈った。

「ああ、これだけあれば往復の旅費を支払ってわずかに余りあります」

客人拝謝而去。

客人拝謝して去る。

旅人らは兄弟を何度も伏し拝みながら帰って行った。

兄弟は譲り受けた白犬を大切に養って、二人仲良く暮らしました・・・・・・・。

さてさて、これでもまだお話は終わりません。

厥後黎家復国、郷人訴二人以得金進莫朝之事、朝廷封識其田産財貨、尽没入官。

その後、黎家国復するに、郷人、二人の金を得て莫朝に進むのことを訴え、朝廷その田産財貨を封識し、ことごとく没して官に入る。

やがて歳過ぎ星移り、世の中が再度変動して黎朝が再び帝位に即いたのでございます。

すると、同郷のひとたちは、兄弟がどこかで黄金を得て莫氏に献上したことを告発いたしました。朝廷では二人の田地・家産、財産すべてを封鎖し、最終的には全額を国庫に没収してしまったのでございます。

かつては貧しく助けあっていた郷里のひとたちであったが、突然貴族になった兄弟への嫉みの心は強かった。

二人の手元に残ったのは、三本足の白いイヌ一匹だけ。二人はイヌを連れて山に入って、薪を伐り山のものを獲る生活に戻ったが、いくばくもなくして相次いで世を去った。

ああー――。

夫陳末失馭、而明人来占我疆土、尽掠我貨財。

それ、陳末に失馭せしより、明人来たりて我が疆土を占め、ことごとく我が家財を掠(かす)めたり。

陳朝の末(1410年代)、秩序が無茶苦茶になって以降、明軍が入ってきてわれらが国土を占領し、われらの財貨をことごとく掠め取りおった。

しかし、その財貨はこの兄弟二人が掘り出し、

莫用之於前、黎用之於後。

莫これを前に用い、黎これを後に用う。

まず莫氏が献上された分を使い、後には黎朝が没収して使ったのだ。

南国之財、竟為南国之人所有。天道循環、無往不復、良可畏也。

南国の財、ついに南国のひとの有つところとなる。天道は循環して往きて復せざる無し、まことに畏るべきなり。

南国の財貨は、最終的には(チュウゴクではなく)南国のひとが保有し、使用したわけである。天の用意する必然なる運命というものは、ぐるぐる廻りで行けば戻ってくるものなのだ。なんとまあ畏怖すべきものではありませんか。

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越南・無名氏「聴聞録異」より。

阮氏・鄭氏に担がれて黎朝が復辟し、英宗の天祐元年(1557)、莫氏の勢力は中央を追われた。二人兄弟が財産を没収されたのはこのころのことでしょう。その後、阮氏・鄭氏の勢力争いも激しくなり、莫氏の残存勢力も何度も昇龍(ハノイ)に迫ったので、越南の地に太平の訪れるのはなお遠い将来のことであった。

ところで、この財産は、南国のひとだと使ってもいい、というのが歴史の必然なのですね。やっぱりみんなで南国に暮らすか。肝冷斎も南国がいいと言ってましたからね。・・・そういえば肝冷斎は吹雪状態の戸外に出て行ったまま戻ってきませんが、どうしたのかな。

 

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