平成26年2月4日(日)  目次へ  前回に戻る

 

今日はほんとに寒かった。明日も寒いらしい。

↓のひとは、まだそこに眠っているなら、この寒いのに寒い水の中でたいへんだなあ、と心配してしまいます。

・・・・・・・・・・・・・・・

廬山の山中に深い深い淵がございまして、「落星潭」(星の落ちた淵)と呼ばれていた。どういうわけか魚鱉の類が多く獲れるので、この潭で釣する漁師が多かった。

五代・後唐王朝の長興年間(930〜933)のこと。

有釣者得一物。頗覚難引。

釣者の一物を得る有り。すこぶる引き難きを覚ゆ。

この淵で釣っていた漁師の一人が、何かを引っかけた。釣り上げようとするが、たいへん難しい。

ほかの漁師にも手伝ってもらって、何とか岸辺に引き上げると、

見一物如人状、戴鉄冠。

一物の人の状(さま)の如き、鉄冠を戴くを見る。

人間のような形をした、鉄製のかぶりものをかぶったモノである。

木にしては重く、石にしては軽い、というぐらいの重さであったが、ずいぶん長く水中にあったのであろう、びっしりとミズゴケが貼り付いていた。

「こりゃあなんじゃろうのう」

「なにかの作りモノのようじゃが・・・」

とりあえず岸辺に置いておいたところ、

後数日、其物上有泥滓苺苔、為風日所剥落。

のち数日、その物上に泥滓苺苔有るも、風日の剥落するところと為る。

数日の間に、そのモノに引っ付いていた泥とかコケは、風と日が乾かして少しづつ剥ぎ落した。

漁師たちも気になったものとみえて、毎日それを観察していたらしい。

「コレもだんだん汚れがとれてきたのう」

「ほんになんだかキラキラしたものが下から見えてきたような・・・」

などと会話していた。

そして、その日は雨が降った。

雨がそのモノにこびりついていた泥やコケをさらに洗い流していった。と―――

そのモノは、

忽見両目倶開。

忽ち両目ともに開くを見る。

突然、両目を開いたのが、漁師たちにも見えたのである。

「!」

「め、目を開きおった!」

それは、やはり人間の形をしていた。

ゆっくりと立ち上がった。

かちん。かちん。なにか金属がこすれあうような音をさせながら、ふらり。ふらり。危なっかしい歩き方で、自ら

就潭水盥手靧面。

潭水に就きて手を盥にして面を靧(かい)す。

淵の水辺まで行き、手で水をすくって顏を洗ったのである。

泥の下からは金色の肌が現れた。

衆漁者驚異、共観之。

衆漁者、異に驚き、ともにこれを観る。

漁師たちはびっくりし、大いに驚きながら、それのまわりに集まってきた。

そのひと、漁師たちの方を振り向いてもしばらく無言でいたが、やがてようやく「しゃべり方」を思い出したように、手振りを混ぜながら、

詢諸漁者、本処土地山川之名、及朝代年月甚詳審。

諸漁者に詢(と)うに、本処の土地・山川の名、及び朝代、年月につきて、甚だ詳審なり。

漁師たちに、ここはどこであるか、ここから見える山の名前、この川の名前、それから今の国号・王朝、何年何月であるか、一々訊ね聞いた。

漁師たちが知るかぎりのことを答えてやると、その答えを何度か反復して口にしていたが、やがてひとり頷き、くるりと向きを替えると、漁師たちに何を言うことも無く、

却入水中。

水中に却り入る。

また水の中に入って行った。

漁師ら、しばらくそのひとの入って行った水際を見つめていたが、そのあとは、

寂無声迹。

寂として声迹無し。

まったく何の音も、何の形跡も無かったのであった。

結局、いったいナニモノで、何を目的にそこにいたのか、また水の中に入って行ったのはなぜか、とんとわからないが、人民たちはこれを神聖なモノと考え、淵の上に祠を建てて祀ったのであった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

五代・王仁裕「玉堂陂b」より。王仁裕はもと前蜀の翰林学士であったそうだが、その亡国の後に河南の鎬京に出て、五代の各王朝に仕えたという。民間の伝説・説話の類を多く記録しており、ほかに「開元天宝遺事」「王氏見聞録」等の著もある。なお、「玉堂陂b」(「玉堂閑話」とも)の書は今すでに佚しているが、「太平廣記」の中に150篇ほどが納められており、このお話も同書巻374に所収されたものを引用しました。

この淵は、「落星潭」というんだから、はるか昔に空からそこへ、流星のように落ちて来た者がいたんでしょうね。アンドロイドなのかサイボーグなんか知らんけど人間の形をしていて、どうせ高い文明を持っていたのであろうし、地球の何かの事態に備えて眠っていたんでしょう。そのときはまだそのときではなかったみたいだが、このモノはまだ寝ているのであろうか。それとももう起き上がって、その使命を果たしつつあるのであろうか。

 

表紙へ  次へ