平成26年1月15日(水)  目次へ  前回に戻る

 

今日も寒くて頭痛がひどいんです。寒いですから少しでも暖かい国のひとのお話を聞きたいよね。

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19世紀も半ばごろのことでございますが、范華堂というひとは文名大いに高く、また碁の名手としての名高かった。

その范のところへ

一日、有叟求見。状甚異。

一日、叟の見(あ)うを求むる有り。状、甚だ異なり。

ある日、ひとりの老人が面会を求めてきた。その外見、すこぶる常人を超越している。

まず碁の勝負を挑むので、数局手合せしたが、范は続けざまに敗れた。それから文学について論じ合ったが、老人の博識はほとんど想像を絶するほどである。

范は大いに敬服し、「先生」と呼んで奉った。

すると老人は喜び、言う、

今日之会、不可不酔。君謀酒、我具餚。

今日の会は酔わざるべからず。君酒を謀れ、我は餚を具(そな)えん。

「今日わしらが出会うたのはたいへんよろこばしく、こんなときはともに酔わねばなるまい。おまえさんはお酒を用意してくれ。わしは食べ物の方を用意しよう」

「わかりましてございます、先生」

范は家人に命じて酒を用意させた。

老人は、范の家いちばんの大皿を持って来させると、

「今日のような佳き日にはこれを食らうしかあるまい」

と言いながら、背負ってきた嚢の口紐を緩め、

取嚢中物置其上。

嚢中の物を取りてその上に置く。

ふくろの中からナニモノかを取り出して、その皿の上に置いた。

「む!」

范は言葉を失った。

乃一蒸熟小児也。

すなわち一の蒸熟せる小児なり。

赤ん坊を蒸し茹でにしたものであった。

老人はその赤ん坊の片腕をもぎ取って、さもうまそうに齧りつきながら、

「さあ、おまえさんも食らうがよい」

と范に進めたのである。

范は不快と恐怖で言葉も出ないありさま。

「おまえさんが食らわねばわしが食らうまでじゃ」

叟笑自啖之。

叟、笑いて自らこれを啖らう。

老人はにやにやと笑いながら、赤ん坊のあちこちをもぎ取っては、食っていくのだった。

頃刻尽、辞去。

頃刻にして尽き、辞去す。

あっという間に食べつくしてしまうと、老人はいとまを請うて帰って行った。

范はもはや見送る気にもならなかったが、家人の話では

出門数武、忽不見。

門を出でて数武にして忽ちに見えずなりぬ。

「門を出られて数歩あるかれると、ふい、と見えなくなってしまいました」

と。

この老人は高い才能を有しながらもおぞましい嗜好を持ってしまったがゆえに隠れ棲んでいた人なのか、あるいは老人は仙道を心得た人で、小児と見えたのは、チュウゴクの書物にあるように

人参枸杞千歳、皆為人形、食之不死。

人参・枸杞千歳なればみな人形を為し、これを食わば死なず。

ニンジンやクコといった霊薬は、千年を経過するとすべて人間の形になるものである。そうなったものを摂取すれば不死となることができる。

という、それであったのかも知れない。

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大越末のひと阮尚賢「喝東書異」より。「喝東」というのはベトナム内の地域名称らしく、その地方で起こった不思議なことを記録した、という意味らしい。

阮尚賢はベトナム独立運動史に名を遺す人で、字・鼎臣(あるいは鼎南)、梅山と号す。1868年河山平省の生まれ、成泰四年(1892)に大越国の科挙に応じ、国子監纂修、寧平(にんびん)・南定(なんでぃん)の督学を務めたが、フランス支配に反抗して官を棄て、チュウゴク杭州に亡命して反仏運動に従事した。後に杭州で出家し、僧侶として1925年に遷化。

 

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