寒い寒いと思って生きていますが、今日は特段に寒かった。帰り道、地下鉄から家までの数分間で一挙に頭の血管が切れまくって頭痛になったぐらい。
寒いので暖かい国の、春を待つ詩でも読んでみますよ。
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―――というと、
「まーた沖縄ネタか」
と思う方もおられるかも知れぬが、今日の寒さは尋常ではないので、これを祓うには沖縄でもダメかも知れません。もっと南へ・・・。
秋声一夜渡藍河、 秋声は一夜、藍河を渡り、
無影無形入我家。 影無く形無く我が家に入りぬ。
「藍河」は河静の鴻山附近を流れる川だということである。・・・ちなみに、「河静」→ハティン、「鴻山」→ホンソンと読んでください。
秋の声は昨夜、藍河を渡って、
影も形も無しにわたしの家に忍び入ったらしい。
万里西風来白髪、 万里の西風、白髪に来たり、
一窗秋色在黄華。 一窗の秋色は黄華に在り。
はるかに吹いてきた西の風は、わたしの髪を白く染め、
まどから見える黄色い花が秋の来たのを教えてくれる。
百年哀楽何時了、 百年の哀楽いずれの時にか了せんも、
四壁図書不厭多。 四壁の図書は多きを厭わず。
人生は百年以内である。その間に悲しいことも楽しいこともあるのだが、それもいずれは終わる。
しかし、四方の壁に積み上げた書籍は、その間に読み切れないほど多くてもかまわない。
わたし(←肝冷斎)もそう思います。いや、思っていました。しかし、岡崎武志「蔵書の苦しみ」(光文社新書652(2013.7)(岡本全勝氏より寄贈))を読んで以来、「500冊ぐらい・・・がいいのかなあ・・・」と考えを変えつつあります。悩ましいところであります。
庭植孤松高百尺、 庭に植えたる孤松、高さ百尺なるも
不知青帝奈何人。 知らず、青帝の人をいかんするやを。
「青帝」は四季と一年を掌る五人の天帝の一で、春を所掌する。
庭には一本の松があって、その高さは三十メートル。(松は長い月日、孤高を保ってきているが、)
わたしは、次の春にいったいどうなっているのであろうか。
以上。
あんまり幸せな春ではなさそうですが、寒いよりいいのではなかろうか。
この詩は、「雑吟」といういい加減な題名の七律ですが、作者は誰あろう、越南黎朝末〜阮朝期の大文人、鴻山猟戸・阮攸(ぐぇん・ずう)である。
阮攸は黎朝の宰相を父として景興二十六年(1765)に河静に生まれ、若きより文才を謳われたが、いわゆる西山(たいそん)党の乱の中で、清の国策によって黎朝が亡び、清の属国たる安南国が設立される(1793)と、その青壮年時代を河静に隠棲して送った。
今日ご紹介したのはそのころの作品。
やがて南部に本拠を築いた阮福映(ぐぅおん・ふくあいん。後の嘉隆(ざーろん)帝)がフランスの支援を得て北伐を開始し、艱難辛苦の後に阮朝越南を興す(1802)とその招請を受けて任官し、やがて清への歳貢使、閣僚クラスである勤政殿大学士、礼部右参知に昇った。この間、字喃(チュノム)を用いて古典長編詩(「演歌」というそうです)の名作「金雲翹(キンヴァンキェウ)新伝」を著している。礼部右参知に在官のまま、明命(みんまん)帝の元年(1820)夏、病を得て卒した。
その最期のことばと伝えられるのは、
好。
好し。
「これで・・・よろしい」
の一言で、遺言に当たる言葉は一語も無かった、という。
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だいたい川本邦衛「ベトナムの詩と歴史」(昭和42年12月文芸春秋社)を参考にいたちまちた。はやく春になって暖かくなるといいでちゅね。春になったらバ○ンティンも日本に帰って来るかなー。