今日は休日出勤だ、という言葉を聞いただけで肝冷斎は「うひゃあ」と叫んで彼岸に逃げて行ってしまいましたので、本日の更新はまた煩礼斎がやります。
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柳融というのは漢のころのひとらしいが、
能含粉成雞子、吐之数十枚。
よく粉を含んで雞子を成し、これを吐くこと数十枚なり。
粉を口の中に入れて、タマゴにして吐き出すことができた。それも一個や二個ではなく数十個も吐き出すのである。
このタマゴは
煮而啖与雞子無異。
煮て啖らうに、雞子と異なる無し。
煮て食べると、ふつうのタマゴといささかも違わなかった。
ただ、黄味の中に少し粉の部分が残っていたということである。
タマゴ製造機の力があったのです。
また、杯を手にしてぶつぶつと呪文を唱え、
「えいや!」
と空中に投げ上げると、亀に変化して落ちてきた。
煮之可食、腸臓皆具。
これを煮れば食らうべく、腸・臓みな具われり。
このカメは煮ると食べることができた。腸もその他の内臓もすべてそなわっていたのである。
而杯成亀殻、煮取肉則殻還成杯矣。
しかして杯は亀殻を成し、煮て肉を取ればすなわち殻は杯に還成す。
杯の方はカメの殻に変化していたようで、煮て肉を取ってしまうと、残った殻はすぐに杯に戻った。
このひとの傍にいたら、永久に食べ物が食べられるようです。
また水を汲んでこれにぶつぶつと呪文を唱え、
えい!
と念を込めると
即成美酒。飲之、酔人。
即ち美酒を成す。これを飲むに人を酔わしむる。
これは即座にすばらしい酒に変じた。ひとが飲んでみると確かに酔うことができた。
永久にお酒を飲むこともできます。
また、
挙手即成大樹。
手を挙ぐればすなわち大樹と成る。
両手を大きく挙げたところ、そのままぐんぐん背が伸びて行って、ついには巨大な樹木に変じたのであった。
あるひと、その枝の細いのを折り取ったところ、
「いてて!」
と人間の姿に戻って左手の指を抑えていたが、
「まあまた生えてくるからいいか」
とあまりこだわりは無いようであった。
そのひと、帰宅して折り取ってきた細い枝を屋根に挿しておいたところ、
連日猶在、以漸萎壊。
連日なお在り、以て漸くに萎び壊る。
何日もの間そのままであったが、その後だんだんに萎びて枯れて行ったのである。
結局、ほんとうの木と違うところはなかった。
柳融はのちに南極子と名乗り、ついに
服雲霜丹、得仙去矣。
雲霜丹を服し、仙となるを得て去れり。
「雲霜丹」という秘密の薬を服用して、仙人に変化することができ、仙界に去って行ってしまった。
ハッピーエンド。
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「雲笈七籤」巻一百九より。(もとは「神仙伝」所収かな)
肝冷斎も行けたんだからこういう能力のあるひとなら確実に「あちら側」に行くことができるでしょう。みなさんも少し努力すればいいのに・・・。