しごとでつかれておりますよ。
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金・哀宗の正大八年(1231)といえば元の太宗(オゴタイ・ハーン)の治世三年、金は蒙古に追われて亡国寸前のころでございます(金は1234に滅亡。覚えやすい)。
山東・滕州の町の東三里のところに、石仏が一体あった。
この石仏が、
忽自動揺者数月。
忽ち自ら動揺すること数月なり。
突然、自動的に揺れ動きはじめた。この現象は数か月も続いたのである。
ひとびと何の前兆であろうかといぶかしんだが、
及州将死乃定。
州将死するに及びてすなわち定まる。
州の守備部隊の将軍が死んだら、動かなくなった。
そうである。
張仲安が話したことを禹冀之が聞いて、わしに教えてくれたことである。
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金・元好問「続夷堅志」巻二より。
疲れてふらふらしています。からだが納豆の臭いしてきた(ような気がする)。インフルエンザかも。この石仏も疲れていたのでしょう。石仏は揺れ動きはじめてから数か月・・・。こちらはあと何日もつことでしょうかのう・・・。