「迂」というのは「迂闊」「迂回」の「迂」である。「迂」には遠回りをする、とか、ゆっくりしている、といった意味があります。迂公あるいは迂仙というひとは明のころ呉に実在したかあるいは実在しなかった人物らしいが、要するに現実とズレのあるのんびり屋の老人、であるらしい。
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迂公、あるとき雨の中、親類の慶事に顔を出すために出かけたが、
道濘、失足、跌損一臂、衣亦少汚。
道濘(ぬか)るみ、足を失いて一臂を跌損し、衣また少しく汚れたり。
道路がぬかるんでいたので、足をすべらせ、片腕をケガするとともに、外出着が少々汚れた。
そばにいた若者が助け起こしてくれ、かつ家まで送ってくれて、家人に腕のケガの手当をするよう伝えてくれた。
ところが迂公、出てきた家人が手当をしようとするのを押しとどめ、言うに、
汝第取水来滌吾衣。臂壊無与爾事。
汝ただ水を取り来たりて吾衣を滌(すす)げ。臂壊るるも爾の事に与る無し。
「おまえは水を持って来て、服のヨゴレを洗い流せばよい。腕がケガしていようと、おまえには何もしてもらわんでもよい」
と。
家人、驚いて、
身之不恤、而念一衣乎。
身をこれ恤(あわ)れまず、一衣を念うか。
「自分の体のことより、一枚の服の方が心配なのですか」
と問うに、曰く、
「あたりまえじゃ。
臂是我家物、何人向我索討。
臂はこれ我が家の物なり、何びとか我に向かいて索討せん。
腕は我家のモノだからな。どこの誰からも返せとか弁償しろと言われる筋合いはない」
けだし、この外出着は人から借りたものであったのだ。
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迂公の家には貴重な宋代の紙(「宋箋」)が所蔵されていた。
あるひとがそのことを知って、呉の町いちばんの書画の名人を紹介してやろうと言ってくれた。
君紙佳甚、何不持向某公索其翰墨、用供清玩。
君が紙、佳はなはだし、何ぞ某公に持してその翰墨を索め、清玩に用供せざらん。
「おまえさんの所蔵している紙はすばらしいことこの上ない。どうしてそれを(名人の)某さんのところに持って行って、墨書をしてもらい、書斎に展示して清らかな心のなぐさめにしようとしないのか」
迂公、眉根を顰めて曰く、
爾欲壊吾紙耶。蓄宋箋、固当宋人画。
爾、吾が紙を壊さんと欲するか。宋箋を蓄わうるは、もとより宋人の画に当てんとす。
「おまえは、わしの貴重な紙を無駄遣いさせようというのか。宋の時代の紙を所蔵しているのだ。それにふさわしい書画は宋の時代の人に描いてもらうしかないだろうに」
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雨が降り続くと、迂公の家ではあちこちで雨漏りがし、
一夜数徙床、卒無乾処。妻児交詬。
一夜にしばしば床を徙(うつ)し、ついに乾処無し。妻児こもごも詬(なじ)る。
これを避けるために一晩のうちに何度か寝床を移さねばならず、やがてついに家の中に乾いているところがなくなってしまった。このため、女房や子どもが大いに文句を言うた。
迂公は大工を呼び、ずいぶん借金して屋根を修理してもらったが、
工畢天忽開霽、竟月晴朗。
工畢るや天たちまち開霽し、竟月晴朗たり。
修理が終わると、それからは毎日晴れた日が続き、一か月以上も雨が降らなかった。
迂公、屋根を見上げ、大いに嘆じて曰く、
命劣之人、才葺屋、便無雨。豈不白析了也。
命劣の人、わずかに屋を葺けばすなわち雨無し。あに白析し了せざらんや。
「わしのように不遇な運命を背負った人間は、すこし屋根を修理したらもう雨が降らなくなるのだ。わかりきったことであったのに・・・」
と。
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「迂」というのはこんな感じです。
迂公の言行を記した明・張夷令の「迂仙別記」には二十四のエピソードが載せられてあります。が、みなさんの人生の役にはあんまり立たないみたいなので、今日は以上で終わり。