今日も感情無し。おまけに呑み会もあったので頭も痛い。事務的にやります。
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満奮、字は武秋、山東昌邑のひと、魏から帝位を継いだ(簒奪した)晋の武帝(在位265〜290)のとき尚書令、司隷校尉に進む。
このひと、寒がりであったのか、風に当たるのを非常にいやがった。
ある時、帝から宴席に招かれた。
帝は満奮の風を嫌がることを知っていたので、
北窗作瑠璃屏。
北窗に瑠璃屏を作す。
北側の窓のこちら側に、ガラスの屏風を置いた。
風よけとしたのである。しかし、ガラスであったので向こう側が透けて、風通しがよいように見えた。
実際には風が吹きこむことはないのに、満奮はやはり
有難色。
難色有り。
不満足らしいようすを見せた。
「わははは」
帝笑之。
帝、これを笑う。
皇帝はお笑いになった。
「風が吹きこまなくても、向こう側が透けて見えると不満なのかな」
満奮答えて曰く、
臣猶呉牛。見月而喘。
臣は呉の牛のごとし。月を見て喘ぐ。
わたくしは呉の国のウシのようなものでございます。月を見てさえ舌を出して喘ぐのです。
それを聞いて
「や、や、なるほどのう」
「いやあ、そういうことか、わっはっは」
と、一座みな大笑いした。
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? 意味わかりますか?
引用元は宋・劉義慶「世説新語」言語篇より。
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これは「呉牛喘月」(呉の牛、月に喘ぐ)という故事成語のもとになったお話です。
「呉牛喘月」は諸橋轍次超大先生の解説によれば、
呉は南方の炎熱甚だしい土地であるから、牛が月を日と見誤って喘ぐこと。
だそうです(「大漢和辞典」巻二)。
満奮は、南国の牛が月を見ても(太陽だと思って)舌を出してハアハアと喘ぐ、そのようにわたくしも(本当はガラスの屏風で遮られていても)向こう側が見えるような状態だと風が吹きこんでくるのではないか、と心配してしまうのですよ、わっはっはっはと言ったわけですね。呉を亡ぼした後の、南方の人や風土を見下した当時の朝廷のフンイキも何となく窺われます。
要するに月を見た呉の牛はイヌを見て喘いだパブロフのようなものだということじゃ。