平成25年11月21日(木)  目次へ  前回に戻る

 

まだ木曜日か・・・。まだ感情は出せないのだ・・・。

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晋王朝の治世もほとんど末の太元十九年(394)。

江西・鄱陽(はよう)のひと桓闡(かんせん)なる者、

殺犬祭郷里綏山。

犬を殺して郷里の綏山を祭る。

郷里の綏山の神を祀るため犠牲に犬を殺した。

この犠牲の肉を神に捧げるのである。

しかしながら、

煮肉不熟。

肉を煮るも熟さず。

この肉がよく煮えていなかったのであった。

これに対し、

神怒。

神怒る。

神さまが怒ったのである。

神さまは怒っても自分で表現できない。

即下教于巫曰、桓闡以肉生貽我、当謫令自食也。

即ち、巫に教えを下して曰く、桓闡肉の生なるを以て我に貽(おく)れり、まさに謫して自ら食わしめん。

そこで、巫(シャーマン)に神の声を下して、巫を通じて言うに、

「桓闡めは肉をナマのままでわしに食わせようとしおった。バチを当てて、おまえ自身にナマの肉を食わせてやるぞ!」

と。

「うひゃあ」

桓闡はバチが当たって、その年のうちに変じて虎となってしまったのであった。

なお、

作虎之始、見人以斑皮衣之、即能跳躍噬逐。

虎と作(な)るの始め、人を見て斑皮を以てこれを衣(き)、即ちよく跳躍して噬逐す。

トラに変化した最初のころは、(ふだんはニンゲンの姿でいるのだが)ほかの人間を見つけるとやおらマダラ模様のトラ皮を着る。そうすると、突然ほんもののトラのように跳びはね、人を追いかけてこれを食べることができるようなるのであった。

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南朝宋・劉敬叔「異苑」巻八より。

肉が煮えてないので怒る神さまも、トラの着ぐるみ着る桓闡もそこはかとなく変である。「うひひ・・・」とちょっと頬を緩めニンゲンらしい笑みを洩らしかけた・・・が、まだ木曜日なのに気づいたので、感情を押し殺して生きていくのだ。

 

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