慣例斎です。肝冷斎とは違う人なんです。ほんとですよー。
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さて、清の雍正帝(在位1722〜35)が即位した後、とある同知(知事になる資格のあるひと)を引見したことがあった。
おごそかに引見の儀が行われているうちに、同知はたいへん困ってしまった。
不意帽中蔵有蠍子、欲出不得、鉤其首甚痛。
意わずも帽中に蠍子を蔵有し、出ださんとするも得ず、その首を鉤してはなはだ痛なり。
思ってもみなかったことであるが、帽子の中にサソリが入っていたのである。追い出そうとしたが皇帝の前ではあからさまにそうもできないうちに、ついに頭を螫(さ)されて、あまりの痛さはとびあがるほど。
これをこらえようとして、
涕涙交併。
涕涙こもごも併せり。
目から涙、鼻からはなみずを垂らしてすすり泣きをはじめてしまった。
帝、玉座よりその様子をみて大いに驚き、
「いかがいたした?」
と問うた。
すると、この同知、なんということであろうか、皇帝の前で非礼にも、突然
免冠。
冠を免ず。
かんむりを脱ぎ棄ておったのだ!
長上の前で頭を露出することは甚だしい非礼だとされていた。まわりの者は驚いたし、皇帝も驚いた。
その人、かんむりを脱ぐとその場に跪き、頭を地面に叩きつけてお辞儀(「叩首礼」)して、曰く、
臣感念聖祖仁皇帝六十一年深仁厚徳、臣家両世受恩、遂不自知涕涙之横集也。
臣、聖祖仁皇帝の六十一年の深仁厚徳と臣が家の両世恩を受くるを感念して、遂に自ら知らずして涕涙の横集するなり。
「臣であるわたくし、先代の康熙帝の六十一年にもわたる深く厚い仁徳を思い起こし、またわたくしの家系においては父の代から恩義をいただいていることを思って、知らず知らずのうちになみだとはなみずが流れ出てしまったのでございます!」
と激しい口調で述べ立てたので、その場にいたひとたちみな、非礼を責めるどころか大いに感動した。
「なんとのう」
帝も頷かれ、
此人尚有良心。
この人、なお良心あり。
この人には、まだまだよい心があったのだなあ。
と感心して、起居注の官(皇帝の言葉や行動を記録する役人)に
記名。
名を記さしむ。
その人の氏名を記録させた。
帝は大いに感動して引見の儀を終えられたが、その間に同知の脱ぎ捨てた冠から這いだしてきた大きなサソリが部屋をごそごそ歩きはじめ、
「うひゃあ」
近侍のモノどもは慌ててサソリ退治をはじめたのであった。
この人、後に抜擢されて大府の知事として任命されたので、ひとびとは
蠍子太守(サソリ知事さま)
と陰口をたたいた。
ただし、別にサソリのような非道な統治を行ったわけではないのである。
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と、清・銭泳「履園叢話」巻二十一に書いてあった。
ちなみに同書巻二十一は「笑柄」(笑い話)という章題がついておりますので、これは笑い話だと整理されているようですが、笑いごとではありません。
今日、わしはエライひとに呼ばれて、しごと上いくつか御質問を受けたが、骨折している(かもしれない)足が痛くて気になってしようがなかったので、わしほどの精神力の持ち主でも、何を聞かれても
「はいはい、そんな感じです、もうよろしいですか」
としか答えられなかったのである。
もしこれが毒虫に刺されたりしたのであれば「はいはい」とも言えず、
「うきー、うるせえ、くそおやじ!」
とか答えてしまっていたかも知れないのです。ああ、オソろしい。