宮本選手、桧山選手、山崎武選手・・・などに加えまして今日はマリンの小野選手も引退を表明。加藤良三は辞任。そういう中、この伝令斎めも心身の限界を感じ、引退の日が近づいてまいりました。とにかく漢文読んでPC立ち上げて漢字打ち込んで日本語打ち込んでめんどくさい。めんどくさいことをやるには心の力が必要ですが、その力が弱い。二日でほとんど使い果たしたのじゃ。
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では、引退に臨みまして、別れの歌を歌いましょう。
無言独上西楼、月如鉤。寂寞梧桐深院、鎖清秋。 剪不断、理還乱、是離愁。別是一般滋味、在心頭。
無言にして独り西楼に上れば、月は鉤の如し。
寂寞たる梧桐の深院に、清秋を鎖(とざ)しぬ。
ことばも無く、たった一人、西のたかどのに昇って見渡せば、月はフック船長の義手のような三日月である。
さびしい、あおぎりの植えられた奥庭には、さやかな秋が閉じ込められているようだ。
剪(き)れども断たず、理(おさ)むれども乱るるは、これ離愁なり。
別にこれ一般の滋味、心頭に在り。
はさみで切っても切れないし、整えたと思ったらもうばらばらに乱れてしまっているのが、別れている悲しみというものだ。
何ともいえない懐かしさ、不思議な味わいを心に噛みしめるばかり。
南唐の後主(←ラストエンペラー)李U(937〜978.在位961〜976)の「烏夜啼」。「烏夜啼」(カラスが夜に鳴く)というのは曲名で、その節で歌うために作られた詞です。
李Uは文化の爛熟した五代十国の一、南唐国の帝でしたが、詞の名手であられた。「詞」という韻文型式のうち短いものを「小令」といいますが、中でもその「小令」が得意で、特に宋に併呑せられてその国都・開封に連行されてからの晩年の詞は哀切を極め、古今の絶唱とされる。
宋の太宗皇帝はそれらを読んで
「いまだ望郷の念を断じたまわぬか・・・。ならばしかたあるまい・・・」
と毒殺を命じたというほどであります。
この別離の悲しみを歌いあげた名詞を読みまして、みなさまとはお別れといたしとうございます。
剪(き)れども断たず、理(おさ)むれども乱るるは、これ離愁なり。
ばっははーい。
ちなみに本日はSAE氏、MTO氏と。最後の晩餐といいますか。スペイン料理おいしうございました。アイスクリームおいしうございました。タイのオムレツおいしうございました。・・・・
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