今のおもてのシゴトは彼にはつらすぎるシゴトだったのでしょう、肝冷斎は過労(精神的な)によりついに無期限休養となりました。
肝冷斎休養に伴い、本日はわたくし凡例斎が担当いたします。ちなみにわたくしも肝冷斎の種族ですから、ウツ持ちの精神力の弱い存在。気力がすぐに萎えるかも・・・。
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春秋の時代、晋の国では献公のときのこと、附庸国(付属の小国)の虢(カク)が言うことを聞かぬので討伐しようということになったのだが、虢を攻めるには途中、これも小国ではあるが晋と同じ姫姓(ということは周王朝とも同族)の虞国の領域を通らねばならない。
虞に軍隊の通過を認めさせるにはどうすればいいだろうか。
晋の大夫の荀息は献公に申し上げた。
請以屈産之乗与垂棘之璧、仮道於虞。
請う、屈産の乗と垂棘の璧を以て、道を虞に仮(か)らんことを。
「いかがでしょうか、公がお持ちの屈の地で生まれ育った名馬四頭とそれに牽かせる馬車一台、および垂棘の山で産出した玉から作った玉環。これを贈り物にして、虞に道を借りようと思うのですが」
献公は答えた。
是吾宝也。
これ、吾が宝なり。
「その二つはわしが大切にしているものだぞ」
たとえば今の日本球界から田中将とバレンティンを引き出物にしたい、というようなことである。別のモノにせい、と献公が言うたのもムベなるかな。
しかし荀息は表情も変えずに言うた、
若得道於虞、猶外府也。
もし道を虞に得れば、外府のごときなり。
「虞が軍隊の通過を許すのであれば、もはや出先機関のようなものでございます。
宝物を渡す、といっても結局我が国のものであることに変わりはございますまい」
「ふむ・・・」
献公はなお逡巡した。田中将とバレンティン。そう簡単にはいかん。せめて前田健とブランコに・・・とは言いませんでしたのじゃ。
公曰、宮之奇存焉。
公曰く、「宮之奇(きゅうしき)存せり」。
公が言うには、「虞には賢者の宮之奇がいるではないか」と。
そう一筋縄ではいくまい、というのである。
荀息曰く、
「ああ、宮之奇でしたら大丈夫です。あいつの為人(ひととなり)は・・・」
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「春秋左伝」魯僖公二年「晋伐虢章」より。
さて、宮之奇はどんな人なのでしょうか。虞の国はどうなるのでございましょうか。わたくし凡例斎の気力が萎えなければ、続く。紀元前658年のことでございます。気の遠くなるようなむかしなのでございます。