うつだうつだうつだ、うつだうつだうつだ、うつだうーつーだー
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そばでもうつ。
山夫打蕎手、 山夫が打蕎の手、
妙勝麺鋪翁。 妙にして麺鋪(めんぽ)の翁に勝れり。
縈箸垂三尺、 箸に縈(まと)わりて垂れること三尺、
尾猶蟠碗中。 尾はなお椀中に蟠まる。
山がつの(おまえさんの)蕎麦の打ち方は
蕎麦屋のおやじより上手である。
(できた蕎麦は)箸にぐるぐる捲きついて、口から三尺も垂れ下がってもまだ切れない
先っぽはまだ碗の中ににゅるにゅるとぐろを巻いている。
そばは食べたい。明日食べるぞ。しかしこの詩の蕎麦は、どうも食欲がわきません。三尺以上の長さの蕎麦というのは写実ではないように思いますが、「白髪三千丈」流の気宇も無くてすかっとしないのです。この詩からはどうしてもうにょうにょするサナダムシを想像してしまい、自分の想像力の下世話なのにウツ。そんなことで挫ける弱い自分にさらにウツ。とにかく自分はダメだ。ダメなニンゲンだな。なのかな。
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とにかく独り言が多い。今日はえらい人もいる会議でなぜか独り言。気が付いて止めたが、おかしくなりつつあることは確実。来週「夏休み」をとろうとしたがダメだったのが効いたようです。
ちなみにこの詩は藍沢南城の「蕎麦麺」(「南城三余集」より)。
藍沢南城は名は祗、字・子敬、越後のひと。父・藍沢北溟の跡を継いで儒学を事とす。万延元年(1860)、六十九歳にして卒すという。