秋が来た
空を研ぎ雲を光らせて
侵み入るやうにながれてきた
(中略)
きみはきかないか
万物が声をひそめて祈つてゐるのを
どこかに非常にいヽ国があるのを感じてゐるのだ! (高橋元吉「秋」)
という季節になってきましたが、わたくしは頭も痛い。足も痛い。検査にいく勇気もやる気もない。しごとデキない。秋の服無い...etc。.・・・おのれの卑小さに嫌気さしてくる。
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方向性として、大きなものに追随するしかない。そこで、「鯨魚」(げいぎょ)という水棲ドウブツについて調べてみた。
字面を見てただの「クジラ」だと思うと大違いで、なんと
大者長千里、小者数千丈。
大なるものは長さ千里、小なるものは数千丈なり。
大きいものは体長1,000里、小さいものでも2〜3,000丈もあるのである。
一チャイナ里=400m、一丈=1.8mで計算して、400キロメートルから5キロメートルぐらいの大きさ、ということになるのである。
こんなでかいクジラがいたらおかしいので、背理法からいってクジラではないであろう。
しかも
一生数万子。
一たびに数万の子を生ず。
一回で数万匹の子どもを産むのである。
クジラがこんなに子を産むはずもない。
五月に大陸の近くまでやってきて子どもを産み、七月〜八月になるとその子を連れて大海に帰って行くそうである。
そのときには
鼓浪成雷、噴沫成雨、水族畏、悉逃匿、魚無敢当者。
浪を鼓せば雷と成り、沫を噴けば雨と成り、水族畏れ、ことごとく逃匿して魚のあえて当たるもの無し。
海面を打つその轟きが雷となり、吹いたしぶきが雨となるのである。水中に棲むものたちはいずれも鯨魚を恐怖して逃げ隠れ、どんな魚も対抗しようなどとしない。
なお、鯨魚のメスが「鯢」で
大亦長千里、眼為明月珠。
大また長さ千里、眼は明月の珠と為す。
大きなものはやはり体長1,000里(400Kメートル)にもなり、その目のたまは宝玉「明月の珠」と呼ばれて珍重されるのである。
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五代・馬縞「中華古今注」巻下より。何食ったらこんなにでかくなるんでしょうね。数万匹も生まれてどうなっていくのかな?
なお、地上でも「鯨魚」のごときバレンティンさまの起こす怒涛に、すべての小さきひとたちの営みが呑み込まれていきつつある。