平成25年8月25日(日)  目次へ  前回に戻る

 

せっかく一息ついたのに、もう明日は月曜日ですか。

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前漢のころ、民間の音楽を採取して人民の声を聞くとともに、宮中儀礼の音楽を新作・保存するため設けられた「楽府」(がくふ)という役所がありました。この役所が採収した音楽及びその音楽に附せられていた歌詞のことを「楽府」(がふ)といい、後漢以降はその替え歌が次々に作られ、正統の詩とは別の韻文のジャンルとして成立したのでございます。

漢代から唐の時代までの「楽府」を集めたのが郭茂倩「楽府詩集」一百巻である。

全部読んでるのもめんどくさいので、とりあえず味見してみましょう。

「有所思」(思うところ有り)の楽府。(「楽府詩集」巻十六所収)

有所思、       思うところ有り、

乃在大海南。    すなわち大海の南に在り。

何用問遺君。    何を用いて君を問遺(もんい)せん。

双珠玳瑁簪、    双珠、玳瑁の簪

用玉紹繚之。    玉を用いてこれに紹繚(しょうりょう)したるを。

ここまでが第一連。

「思うところ」というのは、「愛する人」の意であるよし。この楽府は女性が愛する(愛していた)オトコについてうたっているうたとされる。

「紹繚」(しょうりょう)というのは漢代の俗語だとされるが、「にょろにょろ(とまとわりつく)」というオノマトペだそうです。

 恋しいひとがいるのだよう、

 南の海のむこうにいるのだよ。

 あのひとに贈るのに贈り物は何にしよ。

 真珠を二つつけたべっこうのかんざしに

 玉をにょろにょろ捲きつけた、かっこいいやつよ。

ひとに心を込めた贈り物をする。それをそのひとは受け取ってくれる。これはしあわせであろう。

ところが、第二連では状況が一変いたします。

聞君有他心。   聞く、君に他心有りと。

拉雑摧焼之。   拉雑してこれを摧(くだ)き焼かん。

摧焼之、      これを摧き焼きて、

当風揚其灰。   風に当たりてその灰を揚げん。

従今以往、    今より以往、

勿復相思。    また相思う勿し。

相思与君絶。   相思うこと、君と絶たん。

「拉雑」(らつざつ)もオノマトペで、「ぶっちぶっち」みたいな感じ。

 あのひとが他のひとに心変わりしたのだとさ。

 ぶっちぶっちにそれ(贈り物のかんざし)を砕いて、焼いてしまうのさ。

 砕いて、焼いてしまって、

 風が吹いてきたらその灰を空にほうり上げてしまうのさ。

 これでおしまい、これからは

 二度とあのひとのことなんか思わない。

 あのひとを思うことなんて絶対ない。

やられましたねー、おねーたま。オトコ心なんてそんなもの、少しでもいいのがいたらそちらに靡くのでちゅ。オンナ心と同じだね。

さて、次の第三連。これは古来、難解とされております。第二連でふられ、切れたはずなのに・・・。

鶏鳴狗吠、      鶏は鳴き狗は吠ゆ、

兄嫂当知之。     兄と嫂はまさにこれを知るべし。

妃呼豨、        妃呼豨(ひ・こ・き)

秋風粛粛晨風颸、  秋風粛々として晨風(しんぷう)颸(し)たり、

東方須臾高知之。  東方須臾にしてこれを高知せん。

まずよくわからないがのが、鶏鳴と犬の吠え声。これは夜明け間近の農村の様子っぽいのですが、それによって兄と兄嫁が何を知ることになるのか。指示代名詞「之」の指す事象が明らかではありません。

そして、「妃・呼・豨」(ひー、ほー、ちー)という不思議な間投詞の意味が不明。間投詞なので「ああ」と訳しておけばいいのですが、ほかでは滅多にお目にかからないモノなので、どういうときに発する言葉なのかよくわからない。

「晨風」(しんぷう)は、「朝の風」と解したいところですが、直前で「秋風粛々」といわれているのにこの風は「颸」(シ)、「すばやい」というので、どうも「風」ではないのではないか。

「東方」って何なのか。さらにこの「東方」が須臾(すぐに)の間に「高知」(「高」の意味は?)する指示代名詞「之」の指す事象は何なのか、上記と同じくよくわからない。

余冠英「楽府詩選」(1950中華書局(2012再版))、田中謙二「中国詩文選22 楽府・散曲」(1983筑摩書房)に拠りながら訳してみると、

 ニワトリが鳴き、犬が吠え、

(あんたがあたいの寝室に忍びこんで来たことを)兄さんや義姉さんに知られてしまうよう。

 ひいー! ああーん! きいーー!

 秋の風はひゅうひゅう吹き、(早朝に飛ぶ)ハヤブサがすばやく空に昇っていった。

 もうすぐ東の方が白みはじめる(「q」)から、もうすぐみんなに知られてしまうよう。

余先生は「知之」(「これを知る」)の「これ」は、「わたしはあのひとを裏切っていないということ」だ、と解しておるようですが、田中先生は第三連を相思していたころの夜の回想と読むので、「これ」は「おとこが忍んで来ていること」と解しておられます。もちろん田中先生の解釈の方がおもしろいのでそちらを採用。

「晨風」は鳥のハヤブサのことだという。

なお、「妃呼豨」は余先生は単に「声を表す辞」としております。田中先生は「悲鳴に近いものを、想像する」とおっしゃっておられます。なので、肝冷訳では「よがり声」だとみてみましたよー。わっはっはっは。

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句の字数が一致せぬのは古楽府の特徴でございますが、この楽府は、なんと「鼓吹曲」(軍楽)として使われたおかげで後世にまで伝わったのだそうでございます。こんなの演奏しながら行進していたわけである。わっはっはっは・・・。(ああ、どんなに笑ってみても、あと7〜8時間で月曜の朝が来る・・・)

 

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