平成25年7月28日(日)  目次へ  前回に戻る

 

心が弱い。なんだかまったくこの世界に「現実感」が無い。こんな気持ちのままで明日からまた平日に突入するのか。

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後漢の大学者である鄭玄、字・康成馬融を師としたが、

三載無聞、融鄙而遣還。

三載聞する無く、融、鄙なりとして還らしむ。

三年の間、質問一つしないので、馬融は

「こいつはダメじゃな」

と考え、郷里に帰らせることにした。

学問なんかやってももうモノにはならないから、家へ帰って地道に百姓でもやらせるのがよかろう、という親心でございます。

「どうもお世話になりました」

と鄭玄は師匠にいとまを告げ、

「わしはダメな人間なのだなあ」

とため息つきながら帰郷する途上、

過樹陰仮寝。

樹陰を過ぎりしに仮寝す。

木蔭を通ったときにその下で昼寝した。

ぶうすか・・・・・・。

夢一老父。

夢に一老父あり。

夢の中にじじいが一人現れた。

じじいは眠っている鄭玄を見下ろすと、

「ああ、たしかに、これではダメじゃろうなあ。アレが足らんからな。さすがに馬融にもどうすることもできるまい」

と言いながら、腹の上に馬乗りになり、

以刀開腹心、傾墨汁着内、曰、子可以学矣。

刀を以て腹心を開き、墨汁を傾けて内に着し、曰く「子、以て学ぶべきなり」と。

刀を出して来て、それを鄭玄の腹に突き刺し、ぐいぐい、と腹から心臓にかけて十文字に切り開いた。

そして、墨汁をたっぷりとその中に注ぎこむと、鄭玄に向かって

「これでおまえさんは学問ができるようになったぞ」

と言ったのであった。

目が覚めた。

腹は開かれていない。

しかし鄭玄は何かしらやれるような気がしてきて、すぐに師匠のもとに戻った。

それ以降は学問もメキメキ上達し、

遂精洞典籍。

遂に典籍に精洞す。

やがては経典・図籍の類にくわしく通じるようになった。

そうです。

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南朝宋劉敬叔「異苑」巻九より。こういう世界の方がわたくしなどには「現実感」のある世界なんです。ああ、わたしも腹切り開いてぐりぐりして賢こくしてほしいなあ。地下鉄に乗って会社へ行って怒られたり怒ったり頭下げたり下げられたりするのは、あまり「現実感」無いんです。

ところで鄭玄は後漢のほんとに高名な経学者ですが、彼の学問は五経の注釈ですから通常科学の域を出なかったが、当時ほとんどかえりみられなかった「孟子」に註釈を施すなど、新しいパラダイムを開く部分もあったのである。

 

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