心身ともに弱い肝冷斎でございますが、土日は元気。
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時により過ぐれば民の嘆きなり 八大竜王雨やめ給へ (鎌倉右大臣)
この八大竜王の中で、特に雨を掌るのが、娑竭竜王である。娑竭(しゃかつ)は梵語の「さーがら」の音訳、諸経に「沙竭羅」「娑加羅」などとも表記さる。「さーがら」は本来「海」の意であるから、まさに「海竜王」である。
さて。
聞道無心娑竭雨、 聞く道(なら)く 無心の娑竭の雨も、
六天随処各差殊。 六天に処に随いておのおの差殊あり、と。
わしは聞いておりますぞ。海竜王が降らせる雨は本来同一であるが、
物質世界の側の在り方の違いでそれぞれに違いが出てくるものである、と。
「六天」は
@ 四王天 A忉利天 B夜摩天 C兜率天 D化楽天 E他化自在天
の総称で、三界(欲界・色界・無色界)のうち、一番下が色欲・食欲・眠欲を持つ「欲界」ですが、この「欲界」に六道があり、これを衆生が輪廻するわけでございます。この「六道」の中で一番いいのが「天」でして、この「天」に六段階あるので「六天」(あるいは「六欲天」)と呼ばれる。ちなみにDの「化楽天」が
人間五十年 化天のうちにくらぶれば、夢まぼろしの如くなり。
の「化天」のことで、この天の一日一夜が人間世界の800年に該当するということである。
ということで、「六天の処に随いて」というのは、
物質世界の側のそれぞれの段階に応じて雨も姿を変えるのだ!
ということを言いいたいようです。
目前今我親看験、 目前に今我親しく験を看るに、
池上印環荷上珠。 池上に環を印し、荷上には珠となる。
眼前の(この)世界において、今わし自身がその具体化を観察したぞ。
池の上に落ちると丸い環の波動となり、ハスの葉の上に落ちると白珠となった。
なるほど。
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理屈っぽいばかりの詩ですが、雨の夜には、ふさわしくていいじゃないですか。キニシナイ、キニシナイ(「一休さん」っぽく)。
虎関師練(こかん・しれん)「雨」。(「濟北集」所収)
今日は日中暑かったが、夕方から娑竭竜王の堪忍袋の緒を切れましたのか、雷電激しく驟雨関東平野に来たって今は涼しいです。
ついでに言っておくと虎関師練は室町期の禅僧(いわゆる五山文学のひと)。京都に生まれ、入元(シナに渡った)の後、経典・禅家の語録・儒家の典籍に通じて東福寺、南禅寺等に住持。後醍醐帝・後村上帝の信奉篤く、正平元年(1346)寂、生寿六十九。「元享釈書」等の著述あり。その詩文集を「濟北集」という。
ついでに言いますと、今日はやっと岡本全勝さんからお奨めのあった中山茂「パラダイムと科学革命の歴史」(講談社学術文庫2175)を読了す。たいへん刺激受けました。